雑学界の権威・平林純の考える科学

 「輪ゴムでバンジージャンプ!」をやってみたくなったことがある人は、意外に多いものです。 机を前に、ツマラナイ作業を続けていたりすると、誰しも「うぉー、こんなことやってられるかぁ−!」と叫びたくなり、そして、机の上に転がる輪ゴムを繋げて「ひとつバンジージャンプでもしてみようか!」と思うわけです。たとえば、輪ゴムで32メートルのバンジージャンプをされたこの動画の方たちのように、高いところから輪ゴムを命綱にエイヤッと飛び降りてみたくなるものです。けれど、それで大けがでもしたら・あるいは天に召されてしまったりしたら、それはとても困ります。…というわけで、今回は「輪ゴムでバンジージャンプ!」をやってみたい人への実践的なアドバイス(バンジーセット作成編)です。

 バンジージャンプをするためには、

  1.   1. 何メートル飛ぶか
  2.   2. 輪ゴムを何本繋げるか
  3.   3.(さすがに輪ゴムを繋げたものがひとつだけあっても体重を支えきれないので)輪ゴムを繋げたものを何本用意するか


を決めなければなりません。実は、これらの選択肢は「一番最初の選択」である、何メートル飛ぶかということを決めると(そして、輪ゴムの本数を可能な限り少ないしたい…という経済原理にしたがうと)、自動的に決まります。たとえば、下に示した図は、体重60キログラムの人の場合に、何メートルのバンジーをしたければ、何本の輪ゴムを繋ぎ・それをさらに何束たばねれば良いかがわかるようにしたものです。このグラフでは、青く塗りつぶした部分が「バンジージャンプが成功する条件」で、赤く塗りつぶした部分が(バンジーが)失敗する条件です。たとえば、体重60キログラムの人が20メートルバンジーをするなら、18号の輪ゴムを100本繋ぎ、さらにそれを1000本くらい束にして、つまり10万本のバラならぬ10万本の輪ゴムを使って、バンジージャンプ用具を作らなければならない…というわけです。

 こうした計算をしてみると、冒頭でリンクした輪ゴムでバンジージャンプをされたこの動画の方たちは、使った輪ゴムがたった3000本では、それは絶対失敗するはずだ…ということがわかるわけです。30メートル飛び降りるためには、最低限150本の輪ゴムを直列に繋いだ上で、それを1000本束ねる=15万本の輪ゴムを使わないとダメ、という結果です。

 ちなみに、何メートルのバンジージャンプをするためには、輪ゴムをどんな風に繋ぎ・束ねれば良いかという問題は、飛び出す場所の位置エネルギーと輪ゴムの弾性定数をもとにした弾性エネルギーの保存則と、輪ゴムは元の大きさの4倍以下にしか伸ばすことはできないという制約不等式、さらに輪ゴムを可能な限り減らしたいという経済原理を使うことで解くことができます。輪ゴムの繋ぎ方・束ね方で各輪ゴムに分配されるエネルギーが違うことを考慮してエネルギー保存則を解き、輪ゴムが伸びることができる上限や、なるべく輪ゴムの本数を少なくしたいという経済原理により、何メートル飛びたいかという条件が決まると自動的に値が決まるのです。

 さて、一番重要な「何メートル飛ぶか」ですが、それは「あなたの度胸と向こう見ずさ」次第です。どきょう・向こう見ずさに関しては、計算無しで(圧倒的に輪ゴム本数足りない状態で)30メートルのバンジーを行った輪ゴムでバンジージャンプをされたこの動画の方たちに教えを請うのが良さそうです。

 右に貼り付けた画像は、テクニカル・プレゼンテーションの講習会で使ったスライドです。 プレゼンテーションをする時に、聴き手が「見たことがないもの」は、(全く知らないことを言葉で説明するのは難しいので)まずは何より見せましょう!という内容のスライドです。…けれど、今日の本題は、そんなことではありません。このスライドは、何年も前から使ってきたスライドなのですが、実はこのスライドには、少なくともひとつは明らかな「偽造」が行われています。つまり、「オボった箇所」があるのです。さて、一体どこに「偽造」が行われているかわかるでしょうか?

 その答えは、「ダ・ヴィンチ 自画像」で画像検索してみると、一瞬でわかります。ほとんどのダ・ヴィンチ自画像は「右向き」です。しかし、右上スライドに貼り付けられたダ・ヴィンチは「左向き」です。そう、私がオボった箇所は、ダ・ヴィンチの顔画像です。右向きの顔を左向きに左右反転して使っているのです(下左スライド)。なぜかというと、(たとえば下右スライドのように)オボらずにダ・ヴィンチが右を向いたままでは、スライドのデザインが不自然になってしまうからです。自然な視線の動きに沿ってスライドを眺めた時、ダ・ヴィンチの後頭部に視線がぶつかってしまい、ダ・ヴィンチがそっぽを向いていて散漫な印象を与えるスライドになってしまうのです。…だから、「マ・マズイ…な」と思いつつ、オボった画像加工をしてしまったわけです。決して誉められないことですが、それくらい「自然に感じさせるデザインを行うことは(プレゼンでも)大切だ」というわけです。

 ちなみに、「ダ・ヴィンチ 自画像」で画像検索をかけると、時折「左向きのダ・ヴィンチ」がいます。それは、私がスライド中で(自然に感じさせる)デザイン・レイアウトの基本に沿って画像加工を行ってしまったように、デザイン上の都合から画像をオボっているデザイナーがいるからです。…し・しかし、たとえばこのサイトのように、アートやダ・ヴィンチを主人公にしたサイトでダ・ヴィンチ自身の画像を左右反転でオボっていたりすると、「うーん、これはかなり度胸があるぞ!」「さすがに、そこまではなかなかできないよなぁ…」と考えさせらたりもします。…つまり、そ・それくらいに、「自然に感じさせるデザインを行うことは(プレゼンでも)大切だ」というわけです。

 「方程式で未知数を”x”として表すことが一般的になったのはアラビア語に由来する」という話があります。xやyあるいはzといった文字で未知数を表し、a,b,c…といった文字で既知の値を表すのは、17世紀に活躍したフランスの学者 デカルト が使い、その結果広まったとされる流儀です。この流儀の背景には、8世紀から15世紀にかけて盛んだったイスラム数学が反映されているという「へぇ〜。なるほど〜」と感じさせられる説明です。

 「未知数”x”の語源はアラビア語」というのは、次のような説です。たとえば、西暦820年に書かれた“hisāb al-jabr wa’l muqābala”「約分と消約の計算の書」に「方程式の未知数を (“thing” “something” “object”といった意味にあたる)”shay’”"shey’”という言葉で表す」と記されているように、イスラム数学では未知数を”shay’”"shey’”と(当時は”数式”という概念が生み出されていなかったため)文章中で表現していました*。その”shay’”"shey’”が、ヨーロッパに伝わる過程のスペイン語圏で sh が(sh音がスペイン語では存在しなかったため)xと変換され、ヨーロッパ圏でも未知数にxを使うようになったというものです。この話は、さまざまな興味深いトークを開催しているTEDでもTerry Moore: Why is ‘x’ the unknown?として行われ、現在では非常に広まっています。

 …しかし、この話は本当なのでしょうか?A History of Mathematical Notations (Dover Books on Mathematics)によれば、デカルトが「xやyあるいはzといった文字で未知数を表し、a,b,c…といった文字で既知の値を表す」という書き方をした、デカルトが四十代に入った1637年に公刊された著書「方法序説」中に掲載された「幾何学」の頃からです。その前1629年の頃から、xやyといった文字を未知数として用いることもありましたが、けれどまた、xやyを既知数として使うこともあり、必ずしも”x=未知数”という定義に沿ってはいなかったのです。もしも、デカルトが「アラビア語記述の影響」を受けていたとしたら、40代近くになってから、遙か昔に使われていた語句を踏まえた使い方を急に行い始めるというのは、何だか違和感を感じざるを得ません。

 もちろん、デカルト以前も同じです。16世紀フランスの学者であるフランソワ・ビエトが生み出した数式記述法「未知数 をA, E, Iといった母音で表し・既知の数をB,D,Fといった子音で表す」といったものや、未知数の1乗をN・2乗をQ・3乗をCと、1未知数を 文字を分けて表すといった記述もありましたが、そこに至るまでの数式記述法の過程においては、アラビア語”shay’”の影響は見受けられません。** 
 9世紀のイスラム数学記述法が、デカルトに至るまで影響を与えていたとしたら、数式記述の歴史に何か「証拠」が残っていそうなものです。しかし、残念ながら、そのような片鱗は見つかっていないのです。

 ということは、「未知数”x”の語源はアラビア語という面白・なるほど〜な納得話」は、実はデマである可能性が濃厚のようです。確かな根拠がない「○×の語源は実は△□だった説」という偽史実は巷に溢れているものです。どうやら、「未知数”x”の語源はアラビア語」もそのひとつだったらしい、というわけです。

—————————–
* 未知数が複数あるときには、その他に”measure”, “part” といった意味の語句が使われました。
** デカルトは、1640年になってから、「未知数の1乗をN・2乗をQ・3乗をCと、1未知数を 文字を分けて表すといった記述」も使っています。