雑学界の権威・平林純の考える科学

 最近は、「エスカレーターでは歩かず、片側を空けず、手すりにつかまる」ように呼びかける掲示物を、駅の構内などで多く見かけます(参考:片側空け→歩行禁止 マナー変わる? エスカレーター )。そんな「エスカレーターを歩くとあぶない」といった理由などから「エスカレータでの片側空けを止めましょう」という言葉が掲げられている一方、今はまだ「片側を空ける」マナーの方が一般的です。

 世界各国を眺めてみると、エスカレータでは「片側に立ち・もう片側を空ける」マナーが浸透している国が多く、それどころか、今後こういったマナーを広めていこうとしている国の方が多いように思えます。 もっとも、エスカレーターで「どちらの側に立ち・どちらの側を空けるか」にはばらつきがあります。 たとえば、日本でも、 東京では左に立ち・右を空けることがマナーとされている一方、大坂では右に立ち・左を空けるのが一般的なことはよく知られています。

 そこで、「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」を調べてみたのが、次のリストです。結果を先に言うと、オーストラリアや東京では左に立ち・右を空けるのが一般的ですが、それ以外の国では逆に右に立ち・左を空けるのが一般的です。

  1.  ●英国:右に立ち・左を空ける
  2.  ●米国:右に立ち・左を空ける(参考:USで空けるの見たことないけど…
  3.  ●香港:右に立ち・左を空ける
  4.  ●カナダ:右に立ち・左を空ける
  5.  ●フランス(パリ):右に立ち・左を空ける
  6.  ●オランダ:右に立ち・左を空ける
  7.  ●台湾(台北):右に立ち・左を空ける
  8.  ●タイ(バンコク):右に立ち・左を空ける
  9.  ●奈良・和歌山・神戸:右に立ち・左を空ける
  10.  ●金沢:左に立ち・右を空ける
  11.  ●京都:京都駅の在来線は右に立ち・左を空けるが、観光客がメインの新幹線は左に立ち・右を空ける
  12.  ●大阪:在来線は右に立ち・左を空けるが、新大阪駅の新幹線ホーム:上り・下りや乗客層によって異なり、その逆も多い
  13.  ●仙台:右に立ち・左を空ける
  14.  ●オーストラリア:左に立ち・右を空ける
  15.  ●東京を中心とした関東や九州など:左に立ち・右を空ける
  16.  ●ラテンアメリカ:エスカレーターを歩いて上ったりしない
  17.  ●ギリシャ:右よりに立つが、左を空けるわけでもない
  18.  ●中国(上海):右に立ち・左を空ける
  19.  ●中国(本土):片側空けたりしない…というより、基本「我先に行く也」状態という意見
 

 日本では、東京を中心とした関東(仙台をのぞく)や九州地方では「左に立ち・右を空ける」一方、大坂を中心にした関西地方えは「右に立ち・左を空ける」のがマナーです。この大阪文化圏と東京文化圏の違いが生まれたのは、1970年(昭和45年)に大阪で開催された日本万国博覧会がきっかけだったという説が有力とされています。世界中から大勢の人たちが大阪に訪れる際の混乱を避けるため、海外で一般的な「右に立ち・左を空ける」マナーを阪急電鉄が大阪梅田駅で呼びかけたことから、右に立ち・左を空ける大阪文化圏が生まれたというわけです。その一方、東京では、もっと後になってから「エスカレーターで片側で立つ」マナーが生まれたのですが、左に立ち・右を空けることになった理由について、その定説ははっきりしていません。

 東京で「左に立ち・右を空ける」ことが一般的になった理由の定説が無ければ…その理由を勝手に自由に考えてみよう!というわけで、思いついた理屈が次のようなものです。

 エスカレータでゆっくり立つ側・空ける側(=追い越して早く進む側)というのは、ちょうど車*の走行車線と追い抜き車線の関係と似ています。走行車線を行く車はゆっくりと進み、早く進みたい車が追い抜き車線を抜けて行くのと似ています。 そこで、考えた理屈は、エスカレータ上の歩行者は、基本的に「車の走行側(日本なら左を基本的に走り、追い越すときは右側から追い越す)」と同じように行動するのではないか?というものです。だから、東京では、車と同じように、ゆっくり進む人は左側に立ち・早く行きたい人は右側から追い越していく…というわけです。
 そして、イギリスのように、(車の行き来は少なくても)多地域から来る人の往来が多い場所では、そこに来る(周りの)人たちに影響された側になるのではないだろうか…という具合です。だから、京都や新大阪の(東京など多地域から来る観光客が多い)新幹線ホームのエスカレータでは、訪れる人たちに影響されたマナーが一般的になる…というのが自分勝手に考えてみた理屈です。

 東京から大阪に行ったとき、ついエスカレーターで「ぼぉっ〜」っと左側に立っていて後ろから来る人の流れを不自然にしてしまうことがあります。他の国に行ったとき、そんなことがないように、こんな「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」を知っておくのも良いかもしれません!?

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*ちなみに、各国の車が左右どちらを走るかは、右利きの人が多い→大陸の馬を多頭で横に並べる馬車では御者が左に座る(英国では多頭を横に並べないため右に座る)→すれ違うとき馬車が右側走行の方が便利(英国では左側走行の方が便利)→馬車(そしてその後に車)は左側を走ろう…という必然の流れで広まった、と言われています

 “中2病”という言葉で呼ばれる妄想爆発の中学2年生、そんな多感な彼らの「突拍子のない妄想」を実現させるための実験サポートをしてみました(ヨルスパ!妄想ガキレオ!〜中2の方程式〜)。 サポートした妄想内容はズバリ、

「走った風でスカートめくりできるか?」

です。まさに、中2男子が10人いたら10人全員が頭に思い浮かべたことがあるはずの「妄想」です(参考: 中学2年生の妄想を実験!野爆・川島「童貞に戻った気分」)。

 軽い材質のスカートなら、秒速7〜8メートルの風が吹けば、計算上はめくれあがります(「風でめくれるスカート」の科学!「涼しく晴れた朝の地下鉄駅をドジっ娘が走る」とスカートは必ずめくれる!?の法則)。つまり、100メートルを十秒台前半で走るくらいの俊足スプリンターくらいの速さの風を起こすことができれば、スカートをめくることができるわけです。 …しかし、たとえ妄想中2男子が俊足スプリンターだったとしても、スカートをめくり上げるような速度・向きの風を起こすことができるものでしょうか? そして、スカートをはいた女子の周りを「どのように走り抜ければスカートをめくる風を生み出すことができる」のでしょうか?

 よくある予想は「力一杯走れば、前方に(前に向かって吹く)風が生まれるはずだから、女子の足下近くを上方に向かって吹き上げるような方向に走り込む」という考え方です。(わたしのリサーチによれば)100人中100人近くが「これが正解じないか?」と予想する考え方なのですが、しかし、実はこの予想は全くの大間違いです(走り方としてもかなり無茶苦茶に不自然な走り方です)。 まずは、走る人の周りにできる空気の流れ、流体シミュレーションで計算してみた結果を眺めてみましょう。

 流体シミュレーション結果を眺めれば、「おぉ!?走るスプリンターの前には、ほとんど風なんか吹いていないぞ!?」と驚きの声をあげるはずです。そう、走り込む人の前面では圧力が高まりつつも・実はスカートをめくりあげるような風はほとんど吹かないのです。なぜかというと、人が力一杯走っても、体前面の空気はただ周りへ逃げるだけで、スカートを前(や上)に押すような空気流は生み出されないのです。…しかし、その一方、力一杯に走る中2スプリンターの背後を眺めてみると、スプリンターの背中あたりに空気が渦巻き・場所によってはスカートを上にめくれあがらせるような上向きの空気渦が生み出されていることがわかります。

 意外なことに、そして何より面白いことに、「スカートをめくることができる条件の風が吹くのは、走る人の前面ではない」のです。実は、走り方(位置やタイミング)をちゃんと考えて・実行すれば、自分の背後に「(スカートをめくることが可能な程度の強さの)上向きの風を吹かせることができるのです。たとえば、スカートをめくりあげたいのであれば、そのスカートの高さが自分の背中の高さと同じくらいになるように(走るポーズを)考えつつ、力一杯走り込めば、スカートをフワリと空に浮かべあげることができるわけです。…もちろん、走り方を自分たちにできる範囲の工夫をすれば、たとえば仲間の力を合わせて横に並んで走ってみたり・あるいは縦に並んでタイミング良く走ってみたりすれば、その威力はさらに2倍・3倍と倍増します(下の画像は、そういった仲間パワーを中2病的に妄想炸裂させたシチュエーションプレイな”スカートめくり”流体シミュレーションを行った計算例です)。もちろん、これはあくまで計算上の話で、本当に中2の妄想男子たちが、自らが走り生み出した風でスカートをめくりあげることができるのか?は…これまた別の実装上の問題です(その答えは1月4日(日) 深夜1:50~2:45明らかに?)。


 …というわけで、「走った風でスカートめくりできるか?」を力一杯追い求めれば…意外なものが見えてきます。それは、たとえば、力一杯走ってみれば(原理状は)走った風でスカートめくりができる。けれど、それは走る自分の前面ではなく、自分が見ることができない(自分の)背後だ!ということがわかったりします。たとえ、始まりは単なる妄想だったとしても、それを真剣に願い努力を続けたら、いつか「走った風でスカートをめくることだってできる」というのは感動的なことのように思えます。そして、スカートをめくることもできるけど、そのさまを自分自身では(自分の背後のできごとだから)見ることができない…というのも、何だかちょっと普遍的に当てはまりそうな事実のように思えたりします。「走った風でスカートめくりできるか?」を力一杯追い求めれば…意外なものが見えてきます。