雑学界の権威・平林純の考える科学

 「運動エネルギー」というキーワードで、日本の憲法や法律・法令といった文章に検索をかけてみると、どうなるでしょう? 憲法や法律文章を調べても、理科の実験で習うような「運動エネルギー」なんて言葉は登場しないものでしょうか? それとも、意外な場所で出現していたりするものでしょうか?

 実は、とても重要な法律の中に「運動エネルギー」という言葉が登場しています。 それは「銃砲刀剣類所持等取締法」「銃砲刀剣類所持等取締法施行規則」で、けん銃や小銃といった「銃砲」がどういうものかを定義する箇所です。銃砲刀剣類所持等取締法 第一章 第二条 と 銃砲刀剣類所持等取締法施行規則 第三条によれば、「銃砲」というのは、運動エネルギーが「20 × 弾丸の断面の面積(cm^2)」ジュールを超えるものを指すのです。

銃砲刀剣類所持等取締法(昭和三十三年三月十日法律第六号)
第一章 第二条
 この法律において「銃砲」とは、けん銃、小銃、機関銃、砲、猟銃その他金属性弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲及び空気銃(圧縮した気体を使用して弾丸を発射する機能を有する銃のうち、内閣府令で定めるところにより測定した弾丸の運動エネルギー(単位はジュールとする)の値が、人の生命に危険を及ぼし得るものとして内閣府令で定める値以上となるものをいう。以下同じ。)をいう。


銃砲刀剣類所持等取締法施行規則(昭和三十三年三月二十二日総理府令第十六号)
第三条(人の生命に危険を及ぼし得る弾丸の運動エネルギーの値)  弾丸の運動エネルギーにつき法第二条第一項の内閣府令で定める値は、弾丸を発射する方向に垂直な当該弾丸の断面の面積(単位は、平方センチメートルとする。第百条において同じ。)のうち最大のものに二十を乗じた値とする。

 ということは、たとえば、密度11グラム/cm^3の鉛製の(計算しやすく)1cm角の弾丸を発射する器具があったなら、この弾丸を発射したとき20ジュール以上の運動エネルギーを与えてしまうと、それはイコール「鉄砲」であるということになります。その「鉄砲か否か」となる境界値を計算してみると、秒速60メートルとなります。つまり、1cm角の鉛弾丸を秒速60メートルで打ち出す器具があれば、それは「銃砲刀剣類所持等取締法」で規制される「鉄砲」となるわけです。*

 ちなみに、野球硬球ボールを時速140kmで投げると運動エネルギーは約110ジュール、野球硬式ボールの断面積(cm^2)の20倍は約760ジュールなので、野球硬球ボールを時速370kmで投げると、「銃砲刀剣類所持等取締法」で規制される「鉄砲」レベルの「人の生命に危険を及ぼし得る」殺人弾丸級という計算になります。銃刀法で取り締まられる「鉄砲」が「運動エネルギー」で決まるというのは、何だか面白いと思いませんか?

——————————————————–
* 秒速60メートルということは、時速220キロメートルですから、もしも鉛製の(計算しやすく)1cm角の弾丸を時速時速220キロメートルで投げることができる野球ピッチャーがいれば、それは「人の生命に危険を及ぼし得る」になります。

 来週末4月26日(土)・27日(日)に幕張メッセで開催の「ニコニコ超会議3」のイベントのひとつ、「ニコニコ学会β 研究してみたマッドネス」で27日(日)に研究報告をします。新作も交えて(そうでなければつまらないし、そうしたいものだし)、3分ばかりの研究報告をするつもりです。

 27日(日)の13:00〜14:30 が本番「研究報告タイム」で、それとは別に、その前後の時間
 ・12:00-12:30魔術師たちのオフィスアワー3
 ・14:30-15:00魔術師たちのオフィスアワー4
にも、観客席後方で交流&サインOKという「誰にも知られてない」野生の研究者にとっては、なんか辛そうな(まるでAKB握手会で研修生が味わうような)壁の花タイムも過ごす予定です。

 15の発表の12番目が私の研究報告「15歳のときに知っておきたかった科学 〜 拝啓 ○×△が好きな十五の君へ」です。その後には、さらに超面白そうな、「DIY音響浮揚装置を作ってみた」「宇宙エレベーターモデル昇降機の開発」「日吉で跳んでみた 高度100mぐらい」と楽しい時間が続くので、お暇な方はぜひ遊びに来て下さい。

 東京都立高校の入試では、中3時の成績が内申点として使われて、入学合否は入試と内申点を組み合わせて決められます。 入試と内申点の考慮される割合は、(高校によっても違いがありますが)およそ半分程度なので、中3時の成績は高校入試を大きく左右することになります。

 昨年2013年末時点の都内公立中学校の評価(評定状況)が公開されていたので、東京都立中学564校の評価結果を、科目ごとの評価(1〜5)までの割合として図示してみた結果が下に貼り付けたグラフです。ちなみに、都内公立中学校の評価は生徒間の相対評価ではなくて、学習指導要領の目標に準拠した絶対評価です。

 まず大雑把に眺めてみると、教科間の違いに気づきます。音楽・美術・保険体躯・技術家庭といった実技を含む教科は、(評価が低い)1や2が少なく、3の割合が非常に高くなっています。ほぼ半分以上の生徒の評価が3になっています。その一方、英語などは、1〜5まで比較的広い分布になっていて、学力の差がついているような結果です。

 もうひとつ、興味深いのが学校・教科も区別した際の違いです。 最も多い評価が3であるケースも多い中で、最も多い評価が4となるような分布のケースも頻繁に見られます。 ただし、全教科の学校平均をとると、そのような評価の偏りはかなり少なくなるので、この違いは「学校(もしくは学校に所属する生徒)」に依存するのではなくて、「その学校のある特定教科」にだけ見られる特性のようです。 その学校に通う中学生たちが偶然「ある特定教科だけ」能力が高かったということは考えづらいですから、 これは「先生」によって決まるものなのかもしれません。 つまり、「ある教科を教える先生の教える能力が高くて、中学生たちの実力が高まった」とか、あるいは単に「先生の評価基準が少し異なっている」というような可能性です。 もっとも、ひとつの学校のひとつの教科を1人の先生が全て教えるというわけではないでしょうから、評価「先生個人の基準」に左右されるというよりは、「その学校の特定教科の先生たちの基準や能力」に左右されるのかもしれません。

 ちなみに、大きく分けると「評価の最頻値が3というケース」と「評価の最頻値が4というケース」という2種が多いようですが、(驚くことに)「評価の最頻値が2のケース」も見受けられます。 学習目標に対して最も多い達成度が「2」というのは、あまり望ましくない状態にも思えますが、そういう現状が(現在の都立公立中学では)ある程度存在せざるをえないのでしょうか。

 いずれにせよ、東京都立高校の入試合否を決める内申書評価は、先生個人…かはわかりませんが、生徒自身とは違う因子によって影響を受けていると考えるのが自然に思えます。…といったことを、桜季節も入学試験の季節も終わった今頃に、 昨年2013年末時点の都内公立中学校の評価(評定状況)を見ながら考えたのです。