雑学界の権威・平林純の考える科学

 髪の毛が薄くなってくると、髪の毛の隙間から頭の地肌が見えるようになり、いわゆる「ハゲかかってる」と人から呼ばれる状態になります。あなたが、もし薄毛に心を痛めていたとして、あなたの前に「薄毛(ハゲ)の神様」が現れ、「おまえの悩みはわかった!よし、おまえに、毛髪の本数を2倍にするか、あるいは、太さを2倍にするかのどちらかを選ばせてやろう!さぁ、どうする!?」と宣言したとしたら、あなたなら、薄毛改善のためにどちらを選ぶでしょうか?

 実は、薄毛改善のためには、毛髪の「多さ」を増やすよりは、「太さ」を増やす方がずっと効果的なのです。下の2枚のグラフは、「毛髪の太さ」と「毛髪本数」に応じた「髪の毛の隙間から頭部地肌が透けて見える度合い」を計算してみたものです。左下グラフは、毛髪の太さが40ミクロン(1ミクロン=1/1000ミリ)の場合に毛髪本数(平方ミリメートルあたり本数)が増えると、髪の毛の透け具合がどうなるか(1=完全に透けて見える、つまり完璧なハゲ、0=全然透けて見えない、つまり髪の毛が濃く見える)を示したもので、右下グラフは毛髪の太さが2倍の80ミクロンの場合です。

 このグラフを眺めると、まず「毛髪本数が2倍になっても、透け具合(薄毛の見え方)が1/2に手改善するわけではない」ということがわかります。毛髪の本数が増えていくと(グラフの横軸で右側に行くと)、透け具合(縦軸の値)はあまり変わらない(改善しない)ということがわかると思います。

 その一方、毛髪の太さが2倍になると、同じ程度の毛髪本数でも、たとえば1平方ミリメートルあたり2〜6本あたり生えている場合を眺めてみれば、毛髪の太さが40ミクロンから80ミクロンになると、髪の毛の透け具合が2倍以上大きく低減することが見て取れます。つまり、薄毛に悩み始めたあたりの人には、毛髪の本数倍増より毛髪の太さ倍増の方が、薄毛(頭部の地肌が透けて見えてしまうこと)を効果的改善するのです*。

 ちなみに、薄毛には毛髪本数倍増より太さ倍増が効果的ですが、ハゲ、つまり非常に髪の毛が非常に薄い場合には、本数を増やすことも(毛髪の太さに劣らず)効果的です。上のグラフでも、毛髪本数が非常に少ないあたりでは、毛髪が増えると透け具合が急峻に改善されていることがわかります。だから、あなたの前に「薄毛(ハゲ)の神様」が現れた時、あなたがかなりハゲてるなら「どっちでもOKです!」と叫べばいいし、あなたが薄毛程度なら「毛髪の太さを倍にして下さい!」と答えれば良いのです。

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*この関係は、実はとても当たり前の関係です。この「薄毛(ハゲ)問題」を考えてみると、「クーポンコレクター問題」の亜種であることがわかります。つまり、大雑把に言えば、「ある程度ランダムに髪の毛が生えているとき、地肌を(重ならず)覆い尽くす組み合わせを得る(コンプリートする)には、毛髪は何本必要か」というのが、この薄毛(ハゲ)問題の本質です。

 この毛髪コンプリート問題を考えてみれば、毛髪太さが太いとコンプリートする難易度が低く・少ない毛髪本数でよいのですが、毛髪太さが細いと、コンプリートする難易度が上がり、毛髪をたくさん増やしていっても…なかなかコンプリートしない(=地肌が透けて見える箇所がある)というようになるのです。

 宮澤賢治「銀河鉄道の夜」は、「少年ジョバンニ*が、灯籠流しが行われた夜に丘の上から銀河鉄道に乗り、級友カムパネルラと天空の旅をする。丘の上でジョバンニがひとり気づくと、カムパネルラは川で人を助けた後に行方不明になったということを知る」という話です。

 主人公の級友であり、(亡くなった時に)主人公と銀河鉄道を共に旅をしたカムパネルラの名前は、イタリア・ルネッサンス時代の哲学者「トンマーゾ・カンパネッラ** Tommaso Campanella」からとられている、と言われています。宮澤賢治が盛岡中学(現・盛岡第一高等学校)と盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に在学していた頃、大西 祝 著「西洋哲学史」(初版は明治36年)を読み、そこに書かれていた「カンパネッラ」に強く惹かれ、銀河鉄道の夜の「主人公と別れ・亡くなった級友」の名前をカムパネルラとした、というのです。当時の他書物では(それ以降も)、トマソ・カンパネッラの名前がカンパネラ(カンパネッラ)と書かれているのに対して、大西 祝 著「西洋哲学史」の記述のみが(宮澤賢治が銀河鉄道の夜で書いたのと同じ)カムパネルラと書かれている、というのがその傍証のひとつです。

 実は、カムパネルラ(トンマーゾ・カンパネッラ)の名前は、ジョバン・ドメーニコ・カンパネッラ Giovan Domenico Campanella でした。トンマーゾというのは、後に修道士になった時に付けた聖職者名です。つまり、カムパネルラの名前はジョバン(ニ)で、ジョバンニは、カムパネルラでもあったのです。

 問題は、カムパネルラの名前がジョバン(ニ)でもあったことを、それを果たして「銀河鉄道の夜」という物語を書き綴った作者、宮澤賢治自身が知っていたかどうか?です。宮澤賢治が読んでいたとされる大西 祝 著「西洋哲学史」に、カムパネルラの幼名が書かれていたなら単純明快、「知っていた」で決まりです。…しかし、話はそう単純ではありません。なぜかというと、大西 祝 著「西洋哲学史」のカムパネルラに関する記述には、ジョバンといった幼名は一切書かれていないからです。

 右に貼り付けた画像は、大西 祝 著「西洋哲学史」でカムパネルラが解説されている頁です(左上に太字でカムパネルラと書いてあるのがわかるでしょう)。実際に確認してみても、幼名はおろか、トンマーゾという名すら書かれていません(もちろん、この次頁にも書かれていません)。「西洋哲学史」にカムパネルラについては2頁にわたり書かれていても、そのカムパネルラの名前がジョバン(ニ)でもあったことは触れられていないのです。

 宮澤賢治が他書籍からカムパネルラの幼名を知ったという可能性もゼロではありませんが、そうだったとすれば、(他書籍で使われる)カンパネラでなく(西洋哲学史でのみ使われる)カムパネルラと書いている理由が説明されなくなってしまうのです。すると、宮澤賢治はカムパネルラ=ジョバン(ニ)だったということを知らずに、何かの偶然で、この名前の組み合わせを使ったということなのでしょうか?

 けれど、それも「できすぎた話」のようにも思えます。同じ列車に乗り合わせた(まるで自分の片割れのような)存在と別れていくという「銀河鉄道の夜」の物語中で、それらふたつでひとつ存在に、カムパネルラとジョバン(ニ)という「ひとり」の名前が付けられているなんて、何だか偶然だとは思い難い話です。ジョバンがヨハンに由来するとてもポピュラーな名前だとは言え、「偶然の一致」とするには少しばかり無理があります。…というわけで、「銀河鉄道の夜」カムパネルラ=ジョバンニだったと宮澤賢治は果たして知っていたかどうか、それが「とても興味深い、物語作りにまつわるミステリー」なのです。

 ちなみに、カムパネルラという名は、イタリア語の「(教会の)小さな鐘を鳴らす」という仕事に由来するファミリー(姓)名です。こんな由来は、さすがに宮澤賢治が知ることはなかったことでしょうが、水面へと、空へと、亡くなった人を悼む灯籠がゆらり流されていく「銀河鉄道の夜」にすごく似合う名前だとは思いませんか。

 カムパネルラ、…どこまでも どこまでも 一緒に行こう

    「銀河鉄道の夜」

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*ジョバンニという名前は、宮澤賢治の「ひのきとひなげし」にも「セントジョバンニ」として登場しています。
**カンパネッラは強い信仰と自然に学ぶ科学を指向する矛盾を抱え、宮澤賢治自身を彷彿させます。ちなみに、カンパネッラは71年の人生中の32年を監禁・幽閉で過ごしました。その中のいくばくかは、第2次ガリレオ裁判でガリレオの弁護をしたため、という人です。

 季節はずれの凧揚げにハマっています。100円ショップで買ったゲイラカイト(デルタカイト)に、スマートフォンなどに映像をリアルタイムに送ることができる無線カメラを取り付けて、空に浮かぶ凧から見た景色を楽しんでいるのです(100円ゲイラカイト空撮で「丸い地球」を実感しよう!?超小型Wi-Fiカメラを「100円ゲイラカイト」にぶら下げて、空撮風景をリアルタイムに楽しもう!)。「馬鹿と煙は高い所に昇る(高いところを好む)」と言いますが、高い場所から地上の景色を見下ろすのは、気持ちが良く、遙か上空まで凧を飛ばしたくなります。…ところで、凧は一体どのくらいの高さまで上げることができるのでしょうか?

 凧揚げの高度世界記録は、100年近く前、第一次世界大戦が終わった直後に立てられたものです。1919年の8月1日、ドイツ(当時は生まれたばかりのワイマール共和国)のLindenburg 気象観測所が、(右写真の)箱形の凧を8つ連結させて高度9,740メートルに達したのです。高度10km近くまで揚がる凧を、地上から引っ張る凧糸はもちろん頑丈で太いピアノ線で、「凧揚げ」にかかった時間は6時間近く、という大フライトです(Kite history in Germany)。

 高度10kmというと、世界最高峰のエベレスト(8,848 m)より高く、長距離ジェット飛行機が飛び交う成層圏(下部)近くに達しようという高さです。雲より遙か上の高さまで地上から凧糸が延びていく…なんて考えると、何だかとても不思議な心地になります。

 ちなみに、複数の凧を繋げたものでなく、単一の凧揚げの世界記録は、2000年にカナダで記録された高度(標高差)4,422 mです(World Kite Museum)。エベレストよりは低いとはいえ、富士山(3,776 m)よりも高いのです。凧糸を富士山頂以上の高さまで伸ばしていく・そして巻き取る「凧揚げ」なんて、間違いなくこれは「冒険」です。

 凧揚げと言えばお正月が定番ですが、気温も上がって・気持ち良い春風が吹くこの季節、空高く、凧揚げをしてみるのはいかがでしょうか。