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 宮澤賢治「銀河鉄道の夜」は、「少年ジョバンニ*が、灯籠流しが行われた夜に丘の上から銀河鉄道に乗り、級友カムパネルラと天空の旅をする。丘の上でジョバンニがひとり気づくと、カムパネルラは川で人を助けた後に行方不明になったということを知る」という話です。

 主人公の級友であり、(亡くなった時に)主人公と銀河鉄道を共に旅をしたカムパネルラの名前は、イタリア・ルネッサンス時代の哲学者「トンマーゾ・カンパネッラ** Tommaso Campanella」からとられている、と言われています。宮澤賢治が盛岡中学(現・盛岡第一高等学校)と盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に在学していた頃、大西 祝 著「西洋哲学史」(初版は明治36年)を読み、そこに書かれていた「カンパネッラ」に強く惹かれ、銀河鉄道の夜の「主人公と別れ・亡くなった級友」の名前をカムパネルラとした、というのです。当時の他書物では(それ以降も)、トマソ・カンパネッラの名前がカンパネラ(カンパネッラ)と書かれているのに対して、大西 祝 著「西洋哲学史」の記述のみが(宮澤賢治が銀河鉄道の夜で書いたのと同じ)カムパネルラと書かれている、というのがその傍証のひとつです。

 実は、カムパネルラ(トンマーゾ・カンパネッラ)の名前は、ジョバン・ドメーニコ・カンパネッラ Giovan Domenico Campanella でした。トンマーゾというのは、後に修道士になった時に付けた聖職者名です。つまり、カムパネルラの名前はジョバン(ニ)で、ジョバンニは、カムパネルラでもあったのです。

 問題は、カムパネルラの名前がジョバン(ニ)でもあったことを、それを果たして「銀河鉄道の夜」という物語を書き綴った作者、宮澤賢治自身が知っていたかどうか?です。宮澤賢治が読んでいたとされる大西 祝 著「西洋哲学史」に、カムパネルラの幼名が書かれていたなら単純明快、「知っていた」で決まりです。…しかし、話はそう単純ではありません。なぜかというと、大西 祝 著「西洋哲学史」のカムパネルラに関する記述には、ジョバンといった幼名は一切書かれていないからです。

 右に貼り付けた画像は、大西 祝 著「西洋哲学史」でカムパネルラが解説されている頁です(左上に太字でカムパネルラと書いてあるのがわかるでしょう)。実際に確認してみても、幼名はおろか、トンマーゾという名すら書かれていません(もちろん、この次頁にも書かれていません)。「西洋哲学史」にカムパネルラについては2頁にわたり書かれていても、そのカムパネルラの名前がジョバン(ニ)でもあったことは触れられていないのです。

 宮澤賢治が他書籍からカムパネルラの幼名を知ったという可能性もゼロではありませんが、そうだったとすれば、(他書籍で使われる)カンパネラでなく(西洋哲学史でのみ使われる)カムパネルラと書いている理由が説明されなくなってしまうのです。すると、宮澤賢治はカムパネルラ=ジョバン(ニ)だったということを知らずに、何かの偶然で、この名前の組み合わせを使ったということなのでしょうか?

 けれど、それも「できすぎた話」のようにも思えます。同じ列車に乗り合わせた(まるで自分の片割れのような)存在と別れていくという「銀河鉄道の夜」の物語中で、それらふたつでひとつ存在に、カムパネルラとジョバン(ニ)という「ひとり」の名前が付けられているなんて、何だか偶然だとは思い難い話です。ジョバンがヨハンに由来するとてもポピュラーな名前だとは言え、「偶然の一致」とするには少しばかり無理があります。…というわけで、「銀河鉄道の夜」カムパネルラ=ジョバンニだったと宮澤賢治は果たして知っていたかどうか、それが「とても興味深い、物語作りにまつわるミステリー」なのです。

 ちなみに、カムパネルラという名は、イタリア語の「(教会の)小さな鐘を鳴らす」という仕事に由来するファミリー(姓)名です。こんな由来は、さすがに宮澤賢治が知ることはなかったことでしょうが、水面へと、空へと、亡くなった人を悼む灯籠がゆらり流されていく「銀河鉄道の夜」にすごく似合う名前だとは思いませんか。

 カムパネルラ、…どこまでも どこまでも 一緒に行こう

    「銀河鉄道の夜」

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*ジョバンニという名前は、宮澤賢治の「ひのきとひなげし」にも「セントジョバンニ」として登場しています。
**カンパネッラは強い信仰と自然に学ぶ科学を指向する矛盾を抱え、宮澤賢治自身を彷彿させます。ちなみに、カンパネッラは71年の人生中の32年を監禁・幽閉で過ごしました。その中のいくばくかは、第2次ガリレオ裁判でガリレオの弁護をしたため、という人です。