雑学界の権威・平林純の考える科学

 季節はずれの凧揚げにハマっています。100円ショップで買ったゲイラカイト(デルタカイト)に、スマートフォンなどに映像をリアルタイムに送ることができる無線カメラを取り付けて、空に浮かぶ凧から見た景色を楽しんでいるのです(100円ゲイラカイト空撮で「丸い地球」を実感しよう!?超小型Wi-Fiカメラを「100円ゲイラカイト」にぶら下げて、空撮風景をリアルタイムに楽しもう!)。「馬鹿と煙は高い所に昇る(高いところを好む)」と言いますが、高い場所から地上の景色を見下ろすのは、気持ちが良く、遙か上空まで凧を飛ばしたくなります。…ところで、凧は一体どのくらいの高さまで上げることができるのでしょうか?

 凧揚げの高度世界記録は、100年近く前、第一次世界大戦が終わった直後に立てられたものです。1919年の8月1日、ドイツ(当時は生まれたばかりのワイマール共和国)のLindenburg 気象観測所が、(右写真の)箱形の凧を8つ連結させて高度9,740メートルに達したのです。高度10km近くまで揚がる凧を、地上から引っ張る凧糸はもちろん頑丈で太いピアノ線で、「凧揚げ」にかかった時間は6時間近く、という大フライトです(Kite history in Germany)。

 高度10kmというと、世界最高峰のエベレスト(8,848 m)より高く、長距離ジェット飛行機が飛び交う成層圏(下部)近くに達しようという高さです。雲より遙か上の高さまで地上から凧糸が延びていく…なんて考えると、何だかとても不思議な心地になります。

 ちなみに、複数の凧を繋げたものでなく、単一の凧揚げの世界記録は、2000年にカナダで記録された高度(標高差)4,422 mです(World Kite Museum)。エベレストよりは低いとはいえ、富士山(3,776 m)よりも高いのです。凧糸を富士山頂以上の高さまで伸ばしていく・そして巻き取る「凧揚げ」なんて、間違いなくこれは「冒険」です。

 凧揚げと言えばお正月が定番ですが、気温も上がって・気持ち良い春風が吹くこの季節、空高く、凧揚げをしてみるのはいかがでしょうか。

 日本では古くから「向かって右側」が「上手(かみて)=偉い側」とされてきました。なぜかというと、支配者は「南」を向いて国を統治するべきとされていた昔、それと同時に、南を向く統治者にとって「(太陽が昇る)東側=左側」が「尊い側」とされたからです(これは天子南面の思想と呼ばれます)。他の多くの国々と同様に、古来の日本でも太陽=日(ひ)に対する崇拝の意識が強かったのです。その結果、統治者を眺める私たちにとっては、向かって右側が「偉い側」になりました。

 そんな背景があり、ひな人形は古来から「男雛が向かって右、女雛は向かって左」でした。…ちなみに、「ひなまつり」では、「あかりをつけましょ ぼんぼりに…お内裏さまとおひなさま…」と歌われていますが、お内裏さまというのは、「内裏=天皇の住居」に居る人=天皇と皇后を指します。つまり、お内裏さま=天皇+皇后ですから、「ひなまつり」の歌詞は実は間違っています。

 そんな「男雛が向かって右、女雛は向かって左」というひな人形の配置が、昭和初期に東京(関東)のひな人形業界で「左右反転」しました。 なぜかというと、1928年(昭和3年)11月10日に昭和天皇が即位の礼(皇位を継承したことを世界に表す最高ランクの皇室儀典です)を行った際、天皇・皇后が(古来の日本とは反対に、向かって左側を偉い側とする)西洋の上手(かみて)・下手(しもて)に倣(なら)って、天皇が向かって左・皇后が向かって右に位置したからです。それに「乗っかった」東京の業界が、お内裏さま(天皇と皇后)の配置に沿ったひな人形を作り始めた…というわけです。

 もちろん、伝統をよく知る京都界隈では「おいおい、そんな流行には乗れないぜ」というわけで、いわゆる(現在多く売られている)「男雛が向かって左、女雛は向かって右」と左右逆転してしまった関東雛とは異なり、京雛と呼ばれる昔ながらの「男雛が向かって右、女雛は向かって左」配置が用いられています。

 昭和天皇の即位礼に至る前、天皇が皇后の向かって右に初めて立ったのは、明治時代の初め、明治7年(1874年)のことでした。 これ以降、明治後期には、掲げられる天皇の写真(御真影)の並びや即位礼に際しては「天皇は向かって左・皇后は右とすべし」と(西洋風な並びが)正式に公布されたのです(即位礼における並びの決まりが公布されたのは明治42年のことでした)。ですから、大正天皇の即位礼でも「天皇は向かって左・皇后は右」だったのです。…しかし、大正天皇の即位礼には、懐妊していた皇后は出席しなかったため、実際には「天皇は向かって左・皇后は右」という風に二人が並ぶことはありませんでした。だから、昭和天皇の即位礼が、初めて「天皇は向かって左・皇后は右」という並びに沿って天皇と皇后が並ぶ状況になった、というわけです。そんなわけで、昭和初期の昭和天皇の即位礼をきっかけにして、それ以降東京(関東)のひな人形業界を中心に(セールスのために生み出された流行として)男雛と女雛が左右逆になったのです。

 関東雛は、天皇の並びを反映して「男雛と女雛だけ」を左右反転したので、男雛・女雛配置とそれ以外の配置が矛盾してしまっています。たとえば、(右大臣より偉い)左大臣は向かって右のままですから、男雛・女雛は向かって左側が「偉い」側になっているのに、「大臣」は偉い側が右側になっています。そしてまた、「左近の桜右近の橘」も天皇の向きで左=向かって右に桜があり、向かって左側(=天皇の向きで右近)に橘が位置しています。男雛と女雛以外は昔ながらの並び=昔ながらの(向かって)右が上位の考えに沿っているので、並びの思想には一貫性が無くなってしまいました。

 これが、ひな人形の「男雛と女雛が逆になる」までの詳しい歴史(簡略版)です。

 「右に倣(なら)え」というと、「自分の右(手)にいる人を合わせて・ならって動け」という号令で、「周りの人に追随したり・真似をしたりすること」を意味したりする言葉です。この「右にならえ!」は、どうして左でなくて「右」なのでしょう?

 「右にならえ!」というのは、元々は軍隊用語です。19世紀の後半に、江戸時代末期の幕臣、伊豆半島の根元にある伊豆韮山の代官だった江川英龍が、家臣の石井修三に(英語で言えば”Dress right dress!”という)オランダ語の兵隊に対する演習用語を日本語に訳させたものです。下に貼り付けた動画を見ればわかるように、”Dress right dress!”というのは兵隊側からすると「自分の右手を基準にして動く」ということですし、眺める側から言うと、向かって左側を基準にして兵隊たちがそれぞれ動く(自らの体を動かす)、ということです。

 「右にならえ!」が(兵士にとって)左でなく右であるということ、つまり眺める側から言うと「向かって左側を基準にして」兵隊たちが自分の体を動かすと聞くと、違和感を感じる方も多いはずです。…それはもちろん、日本では古来から「上手=偉い・基準となる」側は左手(眺める側から言うと、向かって右側)であるからです。たとえば、吉本新喜劇でも、TV番組でも、偉い側=上手(かみて)は常に向かって右側(=演じる側からすると左側)に位置するはずだからです。兵隊たちが、自身の右側(=兵隊たちを眺める側からすると向かって左)を基準にして動くというのは、日本古来の上下関係を無視した動きに思えてしまいます。

 それでは、「右にならえ!」は(日本の伝統とは逆に、向かって左側=兵隊からすると右手側が高位だとみなす伝統に沿う)西洋の振る舞いを、そのまま「輸入」したものなのでしょうか?つまり、西洋に「右にならえ!」したものなのでしょうか?

 実は、日本の伝統では「軍隊の順位・偉い側=上手(かみて)」は、左側(眺める側から言うと、向かって右)でなく右側(眺める側から言うと、向かって左側)なのです。なぜかというと、(めでたい場・あるいは普通の場=吉事のことでない)凶事に関しては、たとえば戦いに関するもの(あるいはお葬式といったこと)に関することに対しては、上位と下位の優先順位が逆転する、という決まりがあるからです。つまり、日本古来の軍事の世界では、自分の右手(側)には自分より高位の側がいて、自分の左手(側)には自分より低位の側が並んでいるのです。

 つまり、「左にならえ!」でなく「右にならえ!」が頻繁に使われ・定着した理由は、日本の兵士の世界では、「自分より偉い側を基準にして・兵隊たちを動かすのが自然だった」からです。…下位とされる側(左側)を基準にして(上位とされる右側が)動くことは不自然ですから、「右にならえ!」が頻繁に使われるようになり、普通の言葉としても定着していった…というわけです。

 「右にならえ!」が左でなく右にならう理由、…それは実はとても奥深いものでした。「右にならえ」は、「周りの人に追随したり・真似をしたりする」のではなく、「偉い人に合わせて動く」という歴史を背景にした言葉だったのです。…うーむ。