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 写真用モノクロームフィルムのことを、富士フイルムは黒白フィルムと呼び、コダックは白黒フィルムと呼びます。ちなみに、イルフォードはモノクロームフィルムと呼びます。フィルムでなく写真のことであれば、それぞれ「黒白写真」「白黒写真」「モノクローム写真」という具合です。…そう眺めていくと、「白黒写真という言葉は自然に思えるけれど、なぜ富士フイルムは黒白写真と呼ぶのだろう?」という疑問が頭に浮かんでくるのではないでしょうか?

 実は、モノクロ写真の昔ながらの呼び方は、「白黒写真」ではなく「黒白写真」でした。カラーが「総天然色」と呼ばれていた時代、モノクロームフィルムは「黒白フィルム」と呼ばれ、そしてモノクローム写真は「黒白写真」と呼ばれていたのです。

     

 たとえば、写真関連者向けに出されていた雑誌「写真工業」のバックナンバー記事を眺めてみれば(参考:1954-2005年分)、近年の数少ない例外を除けば、ほとんど「黒白写真」「黒白フィルム」と書かれていることがわかります。つまり、写真業界では、英語の”Black and white film” そのままの、黒白フィルムという呼び方が一般的でした。

 かつて、写真は、それを生業(なりわい)にするプロだけが撮るのが普通でした。しかし、1950年代中頃から、アマチュア写真家が増え、つまり一般家庭にカメラが普及していきました。 そして、いつしか、カメラは一家に一台以上普及する時代になりました。 つまり、写真フィルムを買い・使う人たちは、プロからアマチュアへと変わったのです。 さて、そのアマチュアたちが「黒白フィルム・写真」という言葉に対し、どのように感じるでしょうか?

 日本語の語感としては、「黒白」でなく「白黒」が普通です。たとえば、「黒白(こくびゃく)をつける」と、(黒を白より優先させる)中国発祥のため、本来は「黒→白」の順番だった言葉も、今では「白黒をつける」「白黒はっきりさせる」という具合に、「白→黒」の順番で使われることが普通になったように、今の日本語としては「白黒」語順が自然です。

 そのため、写真のプロフェッショナル=玄人(ちなみに、玄人=くろうと=黒人ですね)たちが昔から使っていた「黒白フィルム・写真」という言葉が、アマチュア=素人(しろうと=白人というわけで、これも古来中国では白より黒の方が優先されるべき存在となる、という例です)の私たちからみると不自然に感じられて、「白黒写真という言葉は自然に思えるけれど、なぜ富士フイルムは黒白写真と呼ぶのだろう?」という冒頭の疑問が浮かんでしまうという状況になった、というわけです。

 だから、冒頭の疑問は「ずっと昔から写真の玄人たちが使ってきた用語を、富士フイルムは今も使い続けている」が答え、ということになります。

 言葉の使われ方・意味は、その時代によって変わっていきます。たとえば、かつては「写真をとる」といえば、「(自分を)写真で撮影してもらう」ということを意味しました。

ねへ美登利さん今度一處に寫眞を取らないか、
我れは祭りの時の姿なりで、
お前は透綾すきやのあら縞で意氣な形なりをして

樋口一葉 「たけくらべ」

それはもちろん、写真は生業(なりわい)にするプロだけが撮るものだったからです。 しかし、写真を撮るのが一般的で当たり前なことになった今は、「写真をとる」といえば、自分(たちが)写真を撮影すること、になりました。

 「歌は世につれ 世は歌につれ」ではありませんが、言葉の意味・使われ方は、その時代のテクノロジーやライフスタイルに応じ移ろい変わっていくのです。