雑学界の権威・平林純の考える科学

 日本では古くから「向かって右側」が「上手(かみて)=偉い側」とされてきました。なぜかというと、支配者は「南」を向いて国を統治するべきとされていた昔、それと同時に、南を向く統治者にとって「(太陽が昇る)東側=左側」が「尊い側」とされたからです(これは天子南面の思想と呼ばれます)。他の多くの国々と同様に、古来の日本でも太陽=日(ひ)に対する崇拝の意識が強かったのです。その結果、統治者を眺める私たちにとっては、向かって右側が「偉い側」になりました。

 そんな背景があり、ひな人形は古来から「男雛が向かって右、女雛は向かって左」でした。…ちなみに、「ひなまつり」では、「あかりをつけましょ ぼんぼりに…お内裏さまとおひなさま…」と歌われていますが、お内裏さまというのは、「内裏=天皇の住居」に居る人=天皇と皇后を指します。つまり、お内裏さま=天皇+皇后ですから、「ひなまつり」の歌詞は実は間違っています。

 そんな「男雛が向かって右、女雛は向かって左」というひな人形の配置が、昭和初期に東京(関東)のひな人形業界で「左右反転」しました。 なぜかというと、1928年(昭和3年)11月10日に昭和天皇が即位の礼(皇位を継承したことを世界に表す最高ランクの皇室儀典です)を行った際、天皇・皇后が(古来の日本とは反対に、向かって左側を偉い側とする)西洋の上手(かみて)・下手(しもて)に倣(なら)って、天皇が向かって左・皇后が向かって右に位置したからです。それに「乗っかった」東京の業界が、お内裏さま(天皇と皇后)の配置に沿ったひな人形を作り始めた…というわけです。

 もちろん、伝統をよく知る京都界隈では「おいおい、そんな流行には乗れないぜ」というわけで、いわゆる(現在多く売られている)「男雛が向かって左、女雛は向かって右」と左右逆転してしまった関東雛とは異なり、京雛と呼ばれる昔ながらの「男雛が向かって右、女雛は向かって左」配置が用いられています。

 昭和天皇の即位礼に至る前、天皇が皇后の向かって右に初めて立ったのは、明治時代の初め、明治7年(1874年)のことでした。 これ以降、明治後期には、掲げられる天皇の写真(御真影)の並びや即位礼に際しては「天皇は向かって左・皇后は右とすべし」と(西洋風な並びが)正式に公布されたのです(即位礼における並びの決まりが公布されたのは明治42年のことでした)。ですから、大正天皇の即位礼でも「天皇は向かって左・皇后は右」だったのです。…しかし、大正天皇の即位礼には、懐妊していた皇后は出席しなかったため、実際には「天皇は向かって左・皇后は右」という風に二人が並ぶことはありませんでした。だから、昭和天皇の即位礼が、初めて「天皇は向かって左・皇后は右」という並びに沿って天皇と皇后が並ぶ状況になった、というわけです。そんなわけで、昭和初期の昭和天皇の即位礼をきっかけにして、それ以降東京(関東)のひな人形業界を中心に(セールスのために生み出された流行として)男雛と女雛が左右逆になったのです。

 関東雛は、天皇の並びを反映して「男雛と女雛だけ」を左右反転したので、男雛・女雛配置とそれ以外の配置が矛盾してしまっています。たとえば、(右大臣より偉い)左大臣は向かって右のままですから、男雛・女雛は向かって左側が「偉い」側になっているのに、「大臣」は偉い側が右側になっています。そしてまた、「左近の桜右近の橘」も天皇の向きで左=向かって右に桜があり、向かって左側(=天皇の向きで右近)に橘が位置しています。男雛と女雛以外は昔ながらの並び=昔ながらの(向かって)右が上位の考えに沿っているので、並びの思想には一貫性が無くなってしまいました。

 これが、ひな人形の「男雛と女雛が逆になる」までの詳しい歴史(簡略版)です。

 「右に倣(なら)え」というと、「自分の右(手)にいる人を合わせて・ならって動け」という号令で、「周りの人に追随したり・真似をしたりすること」を意味したりする言葉です。この「右にならえ!」は、どうして左でなくて「右」なのでしょう?

 「右にならえ!」というのは、元々は軍隊用語です。19世紀の後半に、江戸時代末期の幕臣、伊豆半島の根元にある伊豆韮山の代官だった江川英龍が、家臣の石井修三に(英語で言えば”Dress right dress!”という)オランダ語の兵隊に対する演習用語を日本語に訳させたものです。下に貼り付けた動画を見ればわかるように、”Dress right dress!”というのは兵隊側からすると「自分の右手を基準にして動く」ということですし、眺める側から言うと、向かって左側を基準にして兵隊たちがそれぞれ動く(自らの体を動かす)、ということです。

 「右にならえ!」が(兵士にとって)左でなく右であるということ、つまり眺める側から言うと「向かって左側を基準にして」兵隊たちが自分の体を動かすと聞くと、違和感を感じる方も多いはずです。…それはもちろん、日本では古来から「上手=偉い・基準となる」側は左手(眺める側から言うと、向かって右側)であるからです。たとえば、吉本新喜劇でも、TV番組でも、偉い側=上手(かみて)は常に向かって右側(=演じる側からすると左側)に位置するはずだからです。兵隊たちが、自身の右側(=兵隊たちを眺める側からすると向かって左)を基準にして動くというのは、日本古来の上下関係を無視した動きに思えてしまいます。

 それでは、「右にならえ!」は(日本の伝統とは逆に、向かって左側=兵隊からすると右手側が高位だとみなす伝統に沿う)西洋の振る舞いを、そのまま「輸入」したものなのでしょうか?つまり、西洋に「右にならえ!」したものなのでしょうか?

 実は、日本の伝統では「軍隊の順位・偉い側=上手(かみて)」は、左側(眺める側から言うと、向かって右)でなく右側(眺める側から言うと、向かって左側)なのです。なぜかというと、(めでたい場・あるいは普通の場=吉事のことでない)凶事に関しては、たとえば戦いに関するもの(あるいはお葬式といったこと)に関することに対しては、上位と下位の優先順位が逆転する、という決まりがあるからです。つまり、日本古来の軍事の世界では、自分の右手(側)には自分より高位の側がいて、自分の左手(側)には自分より低位の側が並んでいるのです。

 つまり、「左にならえ!」でなく「右にならえ!」が頻繁に使われ・定着した理由は、日本の兵士の世界では、「自分より偉い側を基準にして・兵隊たちを動かすのが自然だった」からです。…下位とされる側(左側)を基準にして(上位とされる右側が)動くことは不自然ですから、「右にならえ!」が頻繁に使われるようになり、普通の言葉としても定着していった…というわけです。

 「右にならえ!」が左でなく右にならう理由、…それは実はとても奥深いものでした。「右にならえ」は、「周りの人に追随したり・真似をしたりする」のではなく、「偉い人に合わせて動く」という歴史を背景にした言葉だったのです。…うーむ。

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