雑学界の権威・平林純の考える科学

 国会議事堂は左右対称をしていて、北側に参議院があり・右側に衆議院があります。参議院が北側に位置する理由のひとつは、参議院の議長席後ろにある玉座(天皇が座る席)が南を向くようにするため、とされています。つまり、統治者が南をむいて政(まつりごと)を行うべきという「天子南面」に沿ったものです。参議院の議席は扇を南側に向け・広がる具合に作られていて、議長の後ろに位置する玉座は、北側から南を向くように作られているわけです。

 しかし、国会議事堂を地図上でよくよく眺めてみると、南北東西の方角から少しズレていることがわかります。国会議事堂の入り口は真東ではなく少し北寄りを向いていますし、参議院も北側というより北北西に位置しています。…ということは、玉座は完全には南面(南を向く)していないということになります。一体なぜなのでしょう?

 地図上で国会議事堂を眺めてみると、国会議事堂は(おおよそ)東京駅を向いています。たとえば、Google Earthなどで、東京駅上空から国会議事堂を眺めると、ほぼ真っ正面から眺めることができるということに気づきます。…もしかしたら、天子南面に完全に沿えば真東を向くはずの国会議事堂の方角がずれているのは、正面を東京駅を向けるためなのでしょうか?

 東京駅の建設が決まったのが1896年、現国会議事堂の建設が決まったのが(東京駅の建設が本格的に行われるようになった)1906年ですから、帝都の中心、皇居の前に位置するよう作ることにした東京駅へ入り口を向けるよう国会議事堂を作ることにした…とも想像したくなります。

 と、そんなことを想像しつつ、国会議事堂が作られる大本になった官庁集中計画を眺めてみると、現在と同じような国会議事堂配置になっています。…しかし、その設計図にある「中央駅」は現在の東京駅とは違う場所(有楽町のあたり)にありますし、国会議事堂は中央駅の方向を向いているわけでもありません。

 そこで、地形的側面から見た「ベックマンの官庁集中計画」の新解釈という論文を読んで気づかされました。ベックマン案の中央駅の正面に伸びる日本大通りの正面には陸軍省・参謀本部があり、そこを中心にして綺麗に対称となる位置に国会と皇城が配置されていたのです。

 国会議事堂の可視マップを作成してみると、国会 大通りはもちろん、遠く東京湾の洋上においても望 めることがわかった。計画案によると国会大通りか らは、視界が急に開け、上方に左右対称に国会議事 堂と皇城を望むこととなったであろう。

 国会議事堂(の入り口)が真東を向いていないナゾ…それは(現在の東京駅ではなく)かつて計画された「中央駅」を元にして考えられたがゆえの配置で、国会議事堂が東京を向いているように見えるのは「歴史の結果生まれた偶然の産物」だったようです。

 …とはいえ、国会議事堂の向きや帝都設計の歴史を探ってみるのも、とても面白いものですよね。