(東洋人風の謎の狙撃手を主人公としたマンガである)「ゴルゴ13」の中に、ライフル用の特殊弾の作成を依頼したゴルゴ13が「特殊弾に不良品が混じっていないか」を確かめるために、こう指示している箇所がありました。
21発作り、その中から20発選んで試し撃ちをしろ。
20発撃って、不発が一発も無かったら、残りの一発を渡してもらおう。
「仕事をし損じることがない」と巷で評判のゴルゴ13は、さすが、(自分が武器にする)ライフル「弾」に対しても品質管理をしているのだ!と感心します。が、同時に「ゴルゴ13のライフル弾の品質確認は意外と甘いぞ?」「近いうちに、弾が不発・暴発して、依頼をし損じそうだぞ?」と感じます。
なぜなら、たとえば、実際には「弾」の中に不良品が3.4パーセントほど混じっていたとしても、作った弾のうち20発で試射をした際に『20発の中に一発も「不良品」は見つからなかった」となる確率が50パーセント以上あります。
逆に言えば、ゴルゴ13のライフル弾の品質確認は、3.4パーセント程度ほどの不良品を掴んでしまう恐れがある、そんな「品質管理」なのです。
ゴルゴ13の「ライフル弾 品質管理」は、実は、意外なほど甘かったのです。
3パーセント強の不良品が混じっている恐れがあるということは、ゴルゴ13が30回くらい依頼を引き受けたなら、一回くらいは「ライフル弾が不発して(あるいは暴発して)依頼遂行に失敗する」という事態に陥りそうです。
ゴルゴ13の仕事術は、何事も「一発必中」「一発で片をつける」をモットーにしているので、その一発が不発弾だとにっちもさっちもいかなくなってしまいます。
ゴルゴ13の単行本中に平均3本の読み切りが掲載されているとすると、単行本10巻につき一回、ゴルゴは不発弾に腹を立てる、ということになります。
ゴルゴ13は膨大な巻数が出ていますから、本来であれば、ゴルゴは(不発弾を掴んで)すでに依頼を遂行できないことが何度もあったはずなのです。
あなたがゴルゴ13なら、自分のライフルに詰めた銃弾の不良率が3.4パーセント(かもしれない)と聞いたら、どう考えるでしょう?「品質管理」をもっと厳しくする、あるいは、一発必中の仕事術を止める…?危機管理と言えば天下一品のはずのゴルゴ13は、そこのところどう考えているんでしょうか?
日本では、さまざまなものを作るときの「規格」に関する「決まり」があります。
JIS(日本工業規格)と呼ばれるその「規格」には、さまざまなものが満たすべき「決まり」が書かれています。
たとえば、JIS Z 9120~JIS Z 9124といった規格では、野球場・サッカー場・テニス場…といったスポーツ施設に「照明(灯り)の設置方法」についての決まりが定められています。それらJIS規格は、競技場のさまざまな場所の明るさや、照明の向き・光をあてる角度・照明器具の配置などを、こと細かに決めているのです。
ためしに、「この明るさ(照度)にしなさい」という決まりを、競技場の(一番明るい場所を)明るい順番にトップ5を並べてみると、つまり「明るさ選手権」を開催してみると、こんな具合になります。
ちなみに、プロ野球など向けには、内野や外野…など場所によって「明るさの決まり」は違っています。
(たとえば、プロ野球の外野は”内野よりかなり暗い”1200ルクスと決められています)
- 相撲・ボクシング・レスリング(職業試合):3000ルクス
- プロ野球(内野):2000ルクス
- バレーボール(Vリーグ):1500〜1600ルクス
- アマチュアボクシング:1500〜1600ルクス
- スケート(公式競技):1500ルクス
意外に、競技毎に定められた明るさが違っていることに気づかされます。
そして、たとえば素早く至近距離で闘う格闘技に「明るさ」が必要なことなど、何だか「なるほど、確かにそうだよね」と思えるようになるのも、また事実です。
こうした「明るさ」は、競技をするために必要な明るさや、その競技を見やすく眺めるために必要な照明配置などによるものです(たとえば、この競技場の明るさの決まりには、テレビ撮影をする時の明るさの決まりなどもあるのです)。
たとえば、競技の速さや特性…そういったものによって競技場の各場所の「明るさ」が決められています。
私たちの身の回りにあるさまざまなものには、やはりさまざまな「決まり」が作られていて、それらの決まりにもとづいて、多くのものが作られています。
それらの「決まり」は、何かしらの「理由」にもとづいて作られているわけですから、「決まり」の秘密を探っていくと「なるほどな」と思う理由が見えてきます。
JIS規格の「明るさの決まり」では、相撲・ボクシング・レスリングといった格闘技の「舞台」がダントツ明るい、のです。
格闘技の舞台が、JIS(日本工業規格)で定められた「決まり」として、何より一番明るく照明に照らされた「世界」だったのです。
「近くのものがぼやけて見えなくなる」という老化現象を「老眼」と呼びます。 手に持ったモノを眺めるときなど、モノまでの距離が近いとぼやけて見えないので、モノを遠く離して眺めているお年寄りがいます。 あれが、老眼です。 …しかし、この老眼、お年寄りだけの専売特許ではありません。 実は、若い人も「老眼」になっています。 十代の頃からすでに、本人が気づかないうちに、老眼の症状が日々進行しているのです。
「眼がピントを合わせる能力」が年齢に応じてどのように変化するかを示したのが下のグラフです。
このグラフは、ぼやけずに(ものを)見ることができる距離(=合焦可能距離)の範囲をメートル(m)で表し、その「見ることができる距離(m)の逆数」が年齢に応じてどのように変化するかを示しています。 赤線は「(眼のピントを合わせることができる)最も近い距離」で、青線が「(眼のピントを合わせることができる)最も遠い距離」です。 つまり、このグラフは「赤線と青線の間の距離にあるものを眺めることができる」と見れば良いのです。 縦軸は距離の「逆数」ですから、たとえば、無限遠が見えるか見えないかは、1/∞=(縦軸の)ゼロが赤線と青線の間に入っているかを見ればわかります。 あるいは、10cm(=0.1m)の近さにあるものを見ることができるかなら、1/0.1=(縦軸の)10が赤線と青線の間に入っているかを、(横軸の)年齢に応じて眺めれば良いのです。
このグラフを見ると、赤線=ちゃんと見ることができる(最も近くのものまでの)距離が、十代の頃から日々遠ざかっていることがわかります。 眼のピントを合わせることができる範囲(赤線と青線の間の長さ)が年々狭くなっていくことがわかると思います。 若い内から、すでに老眼の症状は日々進んでいるのです。 そのことがわかるように、右上のグラフ縦軸を「どのくらい近く(cm)まで見ることができるか」に変え、15才から40才までを拡大して推移を眺めてみたのが、下のグラフです。 一年で5mm弱程度のスピードで、老眼が毎年進んでいることがわかります。 大学に入りたての新入生が10年経って博士課程を卒業しようとしている頃までには、4cmくらい老眼が進んでいるのです。
ところで、冒頭のグラフをもう一度眺めてみましょう。 このグラフを眺めると、とても「恐ろしいこと」に気づかされれます。 40代になった頃から急激に「近くが見えなく」なり(赤線が”遠く”になっていき)、50代半ばでは、「ピントを合わせることができる最も近い距離が1/0=∞を超える…すなわち、無限大ですら”近くて”(!)眼のピントが合わなくなってしまう!」という状態になってしまうのです。
無限遠ですら”近くて”見えないという老眼…実に恐ろしいですね。