雑学界の権威・平林純の考える科学

 韓国内で消息不明となった内閣府職員が、北九州市の海岸近くでゴムボート内で遺体として発見された、というニュースが世間を賑わせています。釜山市で購入したゴムボートで日本への渡航をしようとしたのではないかとか、亡くなった状態でゴムボートに乗って冬の日本海を北九州市まで辿り着くはずがない、といった推測や疑問が渦巻く不思議な話です。今回は「もしも、ゴムボートに乗って釜山近郊から対馬海峡へと向かったら、ゴムボートはどこに辿り着くか」を考えてみることにします。

 対馬海峡に流れる海流は、基本的には東シナ海から日本海へと流れています。たとえば、左下の図は海洋大循環モデル(RIAMOM)による2014年1月10日の(海流の)平均速度です。対馬海峡のあたりでは、(対馬が流路を狭めることで、海峡が狭まった部分では海流の速度を速くなり)およそ秒速 50cm(時速1.8km)ほどで南西から北東に向かって流れていることがわかります(対馬海峡表層海況監視海洋レーダーシステムのデータも参考になります)。だから、ゴムボートが釜山近郊から対馬海峡の波間に漂い始めたならば、辿り着くのは、島根県あたりの海岸に思えます。

 しかし、ゴムボートを動かす力は海流だけではありません。海面に浮かぶゴムボートは、海上に吹く風からの力も多く受けます。ゴムボートは構造的に海面上に(水面下よりもずっと)大きな体積を占めますから、実際のところ、ゴムボートが水面を漂う時には、流れる風の影響が非常に大きくなりそうです。
 そこで、たとえば、2014年1月10日の海洋大循環モデル(RIAMOM)による平均風速・向きを眺めてみると、右下図のようになり、北西から南南東に向かって、平均的には10 m/s (時速36km)近い強い風が吹いています。風が強かった1月10日ほどでなくても、この時期は平均的に5~10 m/s (時速18~36km)ほどの風が対馬海峡上に吹いています。

 そこで、こうした時々刻々の海流や風の向きや強さ、そしてゴムボートの形や大きさをもとにした大雑把な(風がゴムボートに与える影響の)見積もりをもとにして、ゴムボートが1月10日に釜山近郊を出発したら、そしてゴムボートに積まれたモーターが海に出てすぐに動かなくなったとしたら、一体どこに辿り着くかをシミュレーション計算してみました。その結果が下の図です。
 この地図上に描かれた矢印一本分は「24時間分のゴムボートの動き」です。釜山を出たゴムボートは潮の流れや風に押されて、およそ7日ほどで、まさに北九州市近くに辿り着いています。喫水がとても浅くて・底面も平らなため、海流の流れの影響を受けづらく、けれど海面上に大きな体積を占めることで風に押されてしまうゴムボートの場合には、この時期に釜山から対馬海峡に出ると北九州市に辿り着く、というのが「意外だけれども実は自然なこと」だったりするのかもしれません。

 今回は、時々刻々の海洋環境の中で「ゴムボートが釜山近郊から出航したら、ゴムボートがどのように動いていくか」をシミュレーション計算してみました。それと同じように、時々刻々の海洋環境の中で「北九州市に辿り着いたゴムボートは(時間を遡っていけば)一体どういう方向から・何時どんな場所から出航したかを逆に辿ることもできます(精度はさておき)。
 …今頃、どこかの研究所にシミュレーション計算の依頼がされていて、詳細なデータをもとにスパコンがガシガシ回されて、 この奇妙不可思議な話の謎が解き明かされているのかも!?