雑学界の権威・平林純の考える科学

 先日、ディズニーの「ベイマックス(Big Hero 6)」という映画を観ました。幼児期に両親を亡くした主人公が、ロボット工学技術に囲まれながら成長していく物語です。…この映画を観て思い出したのが、「ディズニーアニメの主人公にはほぼ母親がいない」という話です。そして、その遠因が「ウォルトディズニーがー自分たちが贈ったプレゼントが原因でー母を亡くしたから」という話です。たとえば、ディズニーアニメに出てくるヒロインに母親がいないワケといった記事では、こんな風に書かれています。

 1940年代初頭に、ウォルト・ディズニーは両親のために家を購入しました。ところが、暖炉が壊れていたので、修理屋に修理をしてもらってから、両親はその家に住み始めました。その直後、暖炉のガスが漏れたことが原因で、母親が亡くなったのです。
 「ウォルトはこの話を決してしたがらなかったし、誰も触れたことのない話なんですよ。私は心理学者ではないので確かではないですが、彼の母親の死が、その後の作品に影響を与えていたのかもしれない。ファンタジアやダンボ、ピノキオ、バンビ、白雪姫のように」 (ディズニーアニメに出てくるヒロインに母親がいないワケ

この「ディズニーアニメの主人公に母親がいない奥深い理由は実は…」という話は、以前からよく書かれてきた話です。しかし、客観的に考えると、この説は本当のことではないようです。

 流行の噂や伝聞が本当か?ということを調べるサイトSnopes.comが行った「ディズニーアニメの主人公に母親がいない」のは「ウォルト・ディズニーが母を亡くしたから」というのは本当か?という調査では、ディズニー兄弟が母を亡くした1938年には白雪姫は公開されていたし(その売り上げで親にハリウッドの家をプレゼントしたのだし)*、すでにピノキオやバンビは完成近い段階だったし、少なくともピノキオ・バンビ・白雪姫といった映画の主人公たちが母親不在な境遇なのは、ディズニー兄弟が母を失ったこととは関係無いという事実です。そしてさらに、当時でも現在でも、(ディズニーが映画の原作に選んだ童話の多くが自然とそうだったように、あるいはハリーポッターだってトトロだってそうであるように)子供たちの成長を描き出す成長譚では、両親…とくに母親不在の主人公が描かれることが多いという事実です。実際、たとえばイギリスの雑誌が選ぶ『世界最優秀アニメ映画ランキング』などを眺めてみると、海外はもちろん日本の映画でも、こどもたちが成長していくストーリーの映画では、ほぼ母親不在の状況が描かれていることに気づかされます。過酷な状況下で、こどもが成長する話を(短い時間の中で)描こうとすると、母親がいない状況で書く方が圧倒的に自然なのです。

 物語性としては、「ディズニーアニメの主人公に母親がいない理由はウォルトディズニーが自ら贈った贈り物が原因で母を亡くしてしまったから」というストーリーこそが魅力的なかもしれません。けれど、物語性が低くても、史実や必然性に裏付けられた事実を眺めてみることも、やはりとても面白いのではないかと感じます。

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ディズニーアニメに出てくるヒロインに母親がいないワケの元となっているオリジナル記事である Don Hahn へのインタビュー記事を眺めてみると、 Don Hahnは1938年に亡くなっているウォルトディズニーの母を、亡くなったのは1940年代だと勘違いしていたりと、勘違いが見受けられます。

 「方程式で未知数を”x”として表すことが一般的になったのはアラビア語に由来する」という話があります。xやyあるいはzといった文字で未知数を表し、a,b,c…といった文字で既知の値を表すのは、17世紀に活躍したフランスの学者 デカルト が使い、その結果広まったとされる流儀です。この流儀の背景には、8世紀から15世紀にかけて盛んだったイスラム数学が反映されているという「へぇ〜。なるほど〜」と感じさせられる説明です。

 「未知数”x”の語源はアラビア語」というのは、次のような説です。たとえば、西暦820年に書かれた“hisāb al-jabr wa’l muqābala”「約分と消約の計算の書」に「方程式の未知数を (“thing” “something” “object”といった意味にあたる)”shay’”"shey’”という言葉で表す」と記されているように、イスラム数学では未知数を”shay’”"shey’”と(当時は”数式”という概念が生み出されていなかったため)文章中で表現していました*。その”shay’”"shey’”が、ヨーロッパに伝わる過程のスペイン語圏で sh が(sh音がスペイン語では存在しなかったため)xと変換され、ヨーロッパ圏でも未知数にxを使うようになったというものです。この話は、さまざまな興味深いトークを開催しているTEDでもTerry Moore: Why is ‘x’ the unknown?として行われ、現在では非常に広まっています。

 …しかし、この話は本当なのでしょうか?A History of Mathematical Notations (Dover Books on Mathematics)によれば、デカルトが「xやyあるいはzといった文字で未知数を表し、a,b,c…といった文字で既知の値を表す」という書き方をした、デカルトが四十代に入った1637年に公刊された著書「方法序説」中に掲載された「幾何学」の頃からです。その前1629年の頃から、xやyといった文字を未知数として用いることもありましたが、けれどまた、xやyを既知数として使うこともあり、必ずしも”x=未知数”という定義に沿ってはいなかったのです。もしも、デカルトが「アラビア語記述の影響」を受けていたとしたら、40代近くになってから、遙か昔に使われていた語句を踏まえた使い方を急に行い始めるというのは、何だか違和感を感じざるを得ません。

 もちろん、デカルト以前も同じです。16世紀フランスの学者であるフランソワ・ビエトが生み出した数式記述法「未知数 をA, E, Iといった母音で表し・既知の数をB,D,Fといった子音で表す」といったものや、未知数の1乗をN・2乗をQ・3乗をCと、1未知数を 文字を分けて表すといった記述もありましたが、そこに至るまでの数式記述法の過程においては、アラビア語”shay’”の影響は見受けられません。** 
 9世紀のイスラム数学記述法が、デカルトに至るまで影響を与えていたとしたら、数式記述の歴史に何か「証拠」が残っていそうなものです。しかし、残念ながら、そのような片鱗は見つかっていないのです。

 ということは、「未知数”x”の語源はアラビア語という面白・なるほど〜な納得話」は、実はデマである可能性が濃厚のようです。確かな根拠がない「○×の語源は実は△□だった説」という偽史実は巷に溢れているものです。どうやら、「未知数”x”の語源はアラビア語」もそのひとつだったらしい、というわけです。

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* 未知数が複数あるときには、その他に”measure”, “part” といった意味の語句が使われました。
** デカルトは、1640年になってから、「未知数の1乗をN・2乗をQ・3乗をCと、1未知数を 文字を分けて表すといった記述」も使っています。

 気になったこと・思いついたこと・発見したことを書き留め始めて、15年近く経ちます。そんな中で一番の発見は「サンタが街にやってくる(2011年2001年)」に書いた、「サンタは確かに存在している(サンタが街にやってくる)」ということでした。

 もともとは「サンタクロースはいない・いるはずがない」という内容を書くつもりだったのに、最終的に計算ノートの上に浮かび上がっていたものは「サンタクロースは確かに存在している」という内容でした。10年前に、無味乾燥とした数式をノートに書いているうちに気づかされたことは、「目の前にスヤスヤ眠るこどもに贈り物を届けたい」と心から願う”存在”を蒸留したもの…それこそがサンタクロースという名前で呼ばれる存在で、そんな存在が確かに(小さかった)自分たちの前にも存在していて、それから年月を経た自分たちの中や先(未来も)にいるに違いない、ということでした。

 今年2013年も、もう12月になりました。…だから、自分が一番好きで・一番意外に感じた「発見」を、今年のこの季節も貼り付けておこうと思います。それは、年末近いクリスマスの頃には、「サンタが街にやってくる」という話です。