雑学界の権威・平林純の考える科学

 ビールをグラスに注ぐと、「グラスの中の泡は上に浮かび上がっていく」のが普通…と思えます。 泡(気体)はビール(液体)より軽いはずだから、そんな現象起きるわけがない!と思うかもしれませんが、 しかし、たとえばギネスビールは、グラスに注いでからしばらくの間、グラスの中で泡が下へ下へと沈んでいくさまが見えます (この現象は「ギネス・カスケード(垂れ連なる流れ)」と呼ばれます)。 そしてまた、ギネス以外のビールや水ですら、そういった「下に沈んでいく泡」を見ることができます(参考)。

 グラスの中で「下に沈む泡」ができるのは次のような理由(過程)によるものです(参考解説参考数値シミュレーション論文)。

  1. グラスの中央下部で泡が発生する
  2. 泡がグラス中央部で上昇する際に、(ビールの)粘性によりビール自体にも上昇流が発生する
  3. 上昇したビールは、グラス径が広がり始める部分で渦が発生し、(グラス径が広がる部分では)グラス表面に沿って下へ下降する流れが生じる
  4. (泡が小さい場合)泡に働く浮力はビールの粘性による抵抗力より小さいため、グラス表面近くの下降流に沿って泡が下降していく
これらのことは、少し想像してみると「いたって当たり前」の現象であることがわかると思います。たくさん泡が真上に上っていけば、理想的にサラサラでない飲み物ならば、飲み物自体にも流れが発生するし、(泡が真上に上っていくのに)グラス径が広がれば、飲み物とグラス表面近くには、飲み物の下降流が自然に発生するはずです。…つまり、それはギネスビールに限らず、「(グラス下部で)泡が発生する液体」を「上が広がったグラス」に注げば、実は普通に起きる現象なのです。

 「沈む泡」と言えばギネスビール…となる理由は、ギネスビールでは比較的小さな泡ができやすかったり、色が非常に濃くグラス内部の上昇流(と上っていく泡)が見えず・グラス表面近くの下降する泡しか見えないために、ギネスビールでは「下に落ちていく泡」が顕著に目立つから、というわけです。(右の図はグラス内部の流速と泡とビールの比率~茶色部分が泡が多い部分~を示した数値計算結果です)

 (ギネスでなくとも)ビールを「上が広がったグラス」に注げば、ギネスビール風「下に沈む泡」を作ることができます。 「上広がりのグラス」を使い、(グラスの上部が絞られている部分にはビールを注がないようにすれば)グラスの径が変わる辺りから上の部分では、泡が下に流れ落ちていくようすを見ることができます。

 こんな『ギネスビール風「下に沈む泡」を作るコツ』を覚えておけば、暑い夏を冷たいビールで気持ち良く・楽しく過ごすことができるかもしれません。

 電磁気学・流体力学・熱力学…数多くの物理学の方程式に、「∇」という記号が登場します(右の方程式は電磁気学のマクスウェル方程式です)。 この記号は、19世紀英国の数学・物理学者であるハミルトンが使い始めたことから、ハミルトン演算子と呼ばれたり、あるいは「ナブラ記号」と呼ばれたりします。 (ナブラ)∇がたくさん書かれた黒板を見た瞬間、急に内容が難しく感じられ、へこたれた気分になってしまったことがある人も多いのではないでしょうか?…今日書く記事は、そんな「ナブラ記号」が好きになる雑学です。

 ∇(ナブラ記号)という記号は、1846年に、ハミルトンが初めて使い始めました。 しかし、それから長い間、∇という記号は、「我が輩は…名前はまだない」状態、つまり「名無し」さんのままでした。 だから、「ハミルトンの演算子(ハミルトンが使った記号)」と呼ばれたり、定着しない他の名前で呼ばれていたりしたのです。

 ∇が使われ初めて24年後の1870年に、(マクスウェル方程式を生み出した)電磁気学で有名な物理学者マクスウェルが「この∇記号、何か良い呼び名はないかい?」と友人たちに尋ねます(名前がないと不便ですからね)。 すると、24歳だった神学者W.R.スミスが、こう答えます。

 ギリシャ神話に登場するカドモス王子が∇を使うとき「∇の名」を周りの先生たちに尋ねたとしたら、”そりゃ、オマエそれはナブラ(ヘブライ語で竪琴を示すNebel)に決まってる”って言うと思います。

 ギリシャ神話中で、カドモス王子は(同じくギリシャ神話に登場する)ヘルメースから「竪琴」を贈られます。 ナブラ記号は、まさに「逆三角形の竪琴」の形をしています。 そこで、ハミルトンの演算子が使われ始めた年に生まれた24歳のスミスは、マクスウェルに「∇はナブラと呼びべきだよ(竪琴の形に似てるし)。古のギリシャ神話の神々だって、ヘルメースから竪琴を譲られたカドモス王子には、”それはナブラ(竪琴)だ”って答えるに決まってます」と、洒落っ気たっぷりにアドバイスしたというわけです。 そして、ハミルトンが使い出した∇記号は、24年の時を経て、ヘブライ語のNeblに由来するギリシャ語のナブラという名前で呼ばれるようになったのです。

 …さて、ギリシャ神話のヘルメース(フランス語読みでは”エルメス”ですね)がアポローンに譲った竪琴が、「アポローンの竪琴」です。 それは、夏の夜空に輝く「こと座」です。 こと座α星ベガは、切ない物語のヒロイン、「七夕の織り姫星」です。そして、 ベガ(織り姫)はわし座α星アルタイル(七夕の彦星)・はくちょう座α星デネブとともに、夜空に「夏の大三角」を描き出しています。

 黒板に描かれた∇(ナブラ)を見たら、その名前の由来となった、夏の夜空に浮かぶ「こと座」や、織り姫や彦星が描く「夏の大三角形」を思い浮かべると良いかもしれません。 小難しいように見えた形の向こうに、魅力的な歴史が浮かび上がり、そして黒板に描かれた数式が好きになるはずです。


参考:ヘブライ語のNebel(堅琴)を語源に持つナブラ▽について On Nabla ∇ originated from Nebel (=Harp) in Hebrew

 アップル社が「Macbook Pro Retinaモデル」を発売しました。 そのディスプレイに関する説明には、こうあります。

 15.4インチのディスプレイに500万を超えるピクセルを載せてみると、 その結果はまさに圧巻でした。ピクセル密度がとても高いので、 人間の目では一つひとつのピクセルを識別できないほど。

この「人間の目では一つひとつのピクセルを識別できないほど」というアップル社の宣伝文句は、もちろんアップルお得意の「誇大広告」です。

 アップルが「Retina画面」と呼ぶMacbook Pro Retina・New iPad・iPhone4の画面の画素サイズを「このくらいの視力の人なら識別することができる」という「視力換算」したものが右のグラフです。 「視力換算」というのは、通常の「使用状況=各々の機器を使う歳の観察距離」で、ディスプレイの画素(ピクセル)サイズを識別することができるかどうかを、視力の計算式を用いて(大雑把な換算ですが)算出してみた、ということです。 その結果は、こうなります。(それぞれの観察距離は、50cm,30cm,20cmとして、視力換算しています)

  • Macbook Pro Retina:視力 1.3の人なら画素が見える
  • New iPad:視力 0.9の人なら画素が見える
  • iPhone4:視力 0.8の人なら画素が見える

 ちなみに、「視力」というのは、(下に貼り付けた説明図のように)モノを眺めた時(そのモノが)どの程度の(広がり)角として見えるか・そしてその(広がり)角が識別できるかによって決まります。 「見えるかどうか」には、実際の「画素(モノ)の大きさ」だけでなく、その画素(モノ)を「どのくらいの距離から眺めるか」も重要なのです。 だから、iPhone4の画素サイズが一番細かかったとしても、iPhoneのようなスマートフォンは近くから眺められるので、「視力 0.8の人ですら(実は)画素が見える」という結果になってしまうのです。

 さて、Macbook Pro Retinaモデルは、「視力 1.3の人なら画素が見える」という結果でした。 つまり、「目が悪い」人でなければ、この程度の大きさ(ピクセルサイズ)では、「人は識別できる」のです。 解像度が高くなったといっても、実は、まだまだ解像度は(人間の視力基準で考えれば)足りていないのです。

 アップルお得意の「誇大広告」は、それにダマされず、けれど(それを)楽しむべき、なのかもしれません。 嘘を丸呑みに信じダマされるのはただのアホですが、それを冷静に眺めていてもアホな(同じ)人間であることに変わりはありません。 だとしたら、「踊るアホウに見るアホウ、同じアホウなら踊らな損々~」という阿波踊りのように、ダマされず、けれど楽しむ、というのが風流なのかもしれない、と思います。