プロ野球の「統一球(低反発球)」が、昨年まで使われていたものと今年使われているものが違う、というニュースになっています。
一昨年・昨年と反発係数が0.410程度だったものを今年は0.416にしていた…そして、その結果として今年はホームラン(本塁打)数が格段に増えていた!という話です。たとえば、2011年は939本・2012年は881本だったものが、5月下旬段階でシーズン換算で1286本相当だったというのです。
ところで、ほんの1.5パーセント程度の反発係数の違いが本塁打数にして900本強と1300本弱の違いを生む…と聞くと、ちょっと不思議に感じられるのではないでしょうか?この「わずかな反発係数の差」が「ホームラン数では一目超然」になるヒミツを考えてみることにします。
反発係数が1.5パーセント違うということは、打球の速度が1.5%違います。反発係数が低い旧統一球に比べて、反発係数が高い(今年の)新統一球は1.5%打球速度が速くなります。それは、100cmの高さから落とした時の速度でほんの1.5cmの違いに過ぎませんから、ごくわずかな違いに思えます。さらに考えると、打球の飛距離は、大雑把に言えば、打球初速度の2乗に比例します。すると、新統一球にしたことで、打球飛距離は3パーセントほど伸びることになります。ただし、実際には「2乗に比例」より小さくなるので、およそ2パーセント程度の飛距離の延びが期待されます。…打球の飛距離が2パーセント程度延びるだけで、一体、年間本塁打数が900本強から1300本弱へと大幅に増えるものでしょうか?
その答は「YES」です。打球の飛距離が少し伸びると、ホームラン数は急激に増えるのです。
たとえば、打球の飛距離は正規(ガウス)分布に従うものとしてみます(それほど変な仮定ではないでしょう)。
一昨年・昨年の打球飛距離と今年の打球飛距離の分布(年間本数)を模して描いたみたのが右のグラフです。
これは「一昨年・昨年の打球飛距離より今年の打球飛距離は平均値にして2メートル長い」「それぞれの正規分布の拡がりは(比率で)同じ」として描いてみたものです。
この飛距離分布を眺めただけでは、まだ「たいして変わりがない」ように見えることでしょう。
しかし、次に「○×メートル以上飛んだ打球の数」をグラフにしてみると、その様子がずいぶんと変わります。たとえば、「110メートル以上の飛距離打球=ホームラン」としてみると、
新統一球の分布では1286本(今シーズン年間通算換算数)となり、旧統一球分布では910本(2011年、2012年の平均値)となります。つまり、3割近くもホームラン数が増えるのです。
これは、例えるなら「9秒台で走ることができる人」は数十人しかいなくても、「10秒台で走ることができる人」は数百人いて、「11秒台で走ることができる人」は数千人いるというようなものです。飛距離分布が正規分布(あるいは似たような形の分布)に従うのであれば、ほんの少し飛距離が伸びると(基準が緩まると)大幅にホームラン数は増えるのです。
ちなみに、上の2つのグラフは、一昨年・昨年・今年のホームラン数から連立方程式を作り・解くことで打球飛距離の正規分布を求めてみたもので、旧統一球を打ったときの打球飛距離分布は平均飛距離が68.0メートル・標準偏差は19.6メートルというものでした(新統一球はこの1.02倍です)。「打球の平均飛距離がセカンドとセンターの間くらいに相当する 」なんていう「答え」が旧統一球と新統一球のホームラン数差から浮かび上がる…(どれだけホントに近いかはわかりませんが)というのも面白いと思いませんか?
「The Five-Card Trick Can Be Done with Four Cards(ファイブ・カード・トリックは4枚のカードで行うことができる)」という論文で知った「ファイブ・カード・トリック(“five-card trick”)」が面白かったので、このファイブ・カード・トリックをマンガ「カイジ」に登場しそうな「独自ゲーム」風に紹介してみることにします。
観客を前にした男と女がいます。この男女2人が「両思い」であるかどうか(だけ)を観客たちに対して確認をしたい、とします。「両思い」であるかどうか(だけ)を確認したいというのは、たとえば両思いでなかった場合には、それは「2人ともに相手を好きではなかったのか・あるいは片思いだったのか(ましてやどちらが片思いだったのか)」といったことが観客にはわからないようにしたい、ということです。…どちらかの片思いだと周りに知られてしまったり(ましてや片思いをしていたのが男と女のどちらかだなんて他の人たちにわかってしまったり)しないように、両思いであるか否かだけを知りたい、というわけです。
そんな愛情確認ゲームをしたい時には、「す」カードを2枚、「き」カードを3枚用意します。それらのカードは、表には文字が書かれ、そして裏には何も描かれていません。そんなカードを、男と女に「す」カードと「き」カードを1枚づつ配るのです。そして、
①.まず男がカードを(文字が見えないように裏向きで)次のように置きます
・好きなら:(下から)「す」「き」の順で重ねる
・好きでなければ:(下から)「き」「す」の順で重ねる
②.次に「き」カードを(男のカードの上にさらに)裏向きで重ねて置き
③.さらに、そのカードの上に女が(文字が見えないように裏向きで)次のように置きます
・好きなら:(下から)「き」「す」の順で重ねる
・好きでなければ:(下から)「す」「き」の順で重ねる
④.そして、5枚のカードを(どこで切ったか誰にもわからないように)適当な場所で切り、シャッフルする
⑤.最後に、5枚のカードを、円を描くように並べて、カードを表向きにひっくり返す
ということをします。…すると、両思いなら「き」カードが3枚続けて並んでいて、そうでなければ「両思いではない」ということがわかる、というのが「ファイブ・カード・トリック(“five-card trick”)」です*。
実際にやってみると、①②③をした段階で、両思いなら「き」が3枚続けて並びます(両思いでないと、3枚続けて「き」が並ぶことはありません)。そして、④⑤をしても、その「3枚並びの関係」は変わらないのです。しかも、両思いで無かったとき=「き」が3枚並びでなかった場合、男と女のどちらかの「片思い」だったのか(あるいは)別に片思いですらなかったのか…ということは、(男と女の本人たち以外には)わからないのです。
「両思いか=カップル成立かどうか」を題材にしたゲームは、(昔ながらのプロポーズ大作戦的なフィーリングカップルなど)よくあります。しかし、そんなゲームの多くは両思いではなかった場合に、「片思いの状況」が周りにわかってしまうという切ない状況になったりします。…そんな哀しい状況を避けるためには、こんな「両思いかどうか」だけをヒミツに純粋に確認することができる!㊙愛情確認ゲームがお勧めかもしれませんね。
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冒頭の「The Five-Card Trick Can Be Done with Four Cards(ファイブ・カード・トリックは4枚のカードで行うことができる)」という論文は、このゲームを「4枚のカードで行うことができる」というものです。
■上手(かみて)が日本では「自分の左手」になり、西洋では「自分の右手」になった理由
日本では「(自分の)左側」が、「優位な側」である上手(かみて)です(参考:ひな人形の「男雛と女雛が逆になる」までの詳しい歴史)。
もちろん、その逆方向である自分の右側は、「位が下」となる下手(しもて)です。
それを「眺める側」からの向きで言い換えると、向かって右側が上手で、向かって左側が下手、ということになります。
(自分の)左側が「優位」と捉えられるようになった理由には諸説ありますが、よく言われる理由が「南面した時、太陽が上り来る方向=東が、左側になるから」という理由です。
日本とは逆に、ヨーロッパ・中東などの国では、(自分の)左側ではなく右側が「優位な側」とされます。
なぜそうなったかには…これも諸説ありますが、右利きの人が多いので「右側が強い側(左側は弱い側)」とされたとか、「太陽がのぼり来る東を向いた時、太陽が日中指す方向=南が(自分の)右側になるから」という理由が挙げられます。
日本でも西洋でも、優位・尊ばれる側が「太陽が昇る東」や「日中に太陽が位置する南」に由来した、つまり「太陽」を崇拝する心に由来して「有意な側」を決められたという由来は、とても興味深いところです。そしてまた、同じ太陽崇拝に由来したのに、東を向くか(そして南を指すか)・南を向くか(そして東を指すか)という違いが上手(かみて)となる側を左右逆転させたというのも、非常に面白いのではないでしょうか。
■「右の頬を打たれたら、左の頬を…」に隠された意外な秘密
「右」や「左」と言えば、「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい “But whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also.”」という言葉があります。新約聖書マタイ福音書5:38-42 の中に書かれているイエス・キリストの言葉です。
「右と左が、歴史の中でどのように捉えられてきたか」を考えると、この言葉は実はとても奥深い言葉です。
古代ユダヤ世界では、ヨーロッパ・中東諸国では今でも一般的なように、左手は「悪い側」とされていました。そして「悪い左手」は、自分の主張などを行う際には使うことができませんでした。そして、自分より「階級・地位」が下である者に対して、相手を侮辱・叱責する時には、「右手の(手のひら側でなく)甲で相手の頬を打つ」というやり方がされました。
右手の甲で人の頬を打とうとしたら、やってみればわかりますが、相手の右頬を打つことになります。つまり、あなたが「右の頬を打たれた」という状況は、相手が「あなたの階級・地位が下であると捉えつつ、あなたを貶め・侮辱した」ということを意味するわけです。それが、「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」が指す前半部分の状況です。
それでは後半の「左の頬をも向けなさい」は、一体どういう意味・状態になるのでしょうか。あなたの右頬を打った相手に、あなたが「左の頬を向けた」ら、一体どうすることができるでしょう? 相手があなたの頬を打とうとしても、相手は(悪い側の)左手は使えませんから、右手であなたの左頬を打つことになります。もちろん、あなたの左頬を右手で打とうとすると、相手は右手の甲ではなく、手のひらで打つことになります。
しかし、(自分より相手が下だとみなす行為である)手の甲で打つのではなく、「手のひらで相手を打つ」ということは、相手にとって「自分とあなた」を対等だとみなすことです。つまり、「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を、「自分と同等の人間である」と認める行為となってしまうわけです。
つまり、「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」という言葉は、「相手の暴力・差別に対して服従・無抵抗になれ」という意味では決してなく、「相手と自分は対等・平等だという態度・意志を示せ」という言葉だった、というわけです。
この言葉、新約聖書マタイ福音書に書かれている「右の頬を打たれたら・・・」は、旧約聖書の「目には目を、歯には歯を。手には手を、火傷には火傷を、打ち傷には打ち傷を」 という言葉と対比されることが多いため、「無抵抗主義を示す言葉」に思われがちです。しかし、「右と左の歴史」を遡り眺めてみると、無抵抗どころか根本の意味での大きな抵抗を示せという言葉だったのです。
■当たり前のことや見過ごしがちなことも、理由や意味を深掘りすると、新鮮で意外で面白い!
あたりまえのような言葉や作法も、それらが生まれた理由や経緯を知ると、そして、それらの意味を深掘りしてみると、とても面白く・興味深い内容だったりします。今回は、「左右の順位にまつわる歴史的理由」を振り返り、「右の頬を打たれたら左の…の本当の意味」を考えてみました。