雑学界の権威・平林純の考える科学

 血圧を表す時にはmmHgという単位が使われます。たとえば、動脈の血圧を計った時「最高血圧が125mmHg未満、最低血圧が80mmHg未満が正常だ」という具合です。
 この「mmHg」という単位は、1mmの深さの水銀が与える圧力です。 つまり、鉛直に立つパイプの中に水銀を注ぎ込んだ時の「底での圧力」を「水銀の高さ(mm)」で表し、その圧力を介して他の圧力を表現するわけです。

 しかし、「水銀の高さ」で血圧を表現されても、「それがどのくらいの圧力」なのか体感しづらいのではないでしょうか。 なぜなら、わたしたちは「水銀を注いだプールで泳ぎ、その圧力を感じたりする」ことはありませんし、そもそも水銀には毒性があるので、水銀を触ること自体がないはずです。

 そこで、血圧(mmHg)を他の体感できる単位やモノに換算してみることにします。 つまり、わたしたちに身近なものに換算してみよう!というわけです。

 まずは、血圧を「気圧」に換算してみましょう。 わたしたちを取り巻く空気(大気)は、地表から遙か上空まであり、その空気の重さが、わたしたちに乗しかかっています。 その圧力(気圧)はmmHgにすると、およそ760mgほどになります。 逆に血圧(mmHg)を気圧に換算して言えば、「最高血圧が125mmHg未満、最低血圧が80mmHg未満が正常だ」は「最高血圧が0.16気圧未満、最低血圧が0.1気圧未満が正常だ」という具合になります。 そして、血圧が実は気圧との差として計られていることを考えれば(地表にいる物体には約1気圧が常にかかっているため、それとの差分を計り・示しているのです)、つまり、これは「最高血圧が(大気圧より)0.16気圧未満(高いくらい)で、最低血圧が(大気圧より)0.1気圧未満(高いくらい)が正常だ」ということなのです。

 しかし、血圧(mmHg)を「気圧」に換算しても「気圧では、まだまだ体感できないよ」という人も多いかもしれません。 そこで、次は「水の高さ」に換算してみることにします。

 大気圧は「約10mの高さの水の圧力」と同じです。 すると、「最高血圧が0.16気圧未満、最低血圧が0.1気圧未満が正常だ」を水の高さに換算すると、「最高血圧が1.6mの高さの水圧未満、最低血圧が1mの高さの水圧未満が正常だ」となります。 (動脈での)平均血圧が100mHgなら「血圧が1mの高さの水圧と同じ」という具合です。

 こうして血圧(mmHg)を水圧(水の高さで表す圧力)に換算してみると、「動脈を切ってしまうと確かにドクドク血が流れ出しそう」などと実感できるのではないでしょうか。何しろ、たとえば水道の蛇口から出る水の圧力は2気圧程度が目安とされていますから、水道の水と同じくらいの力で(動脈から)流れ出す血を止める(止血する)ことはかなり大変だ…と感じられるはずです。

 あるいは、静脈の圧力は20mmHg程度ですが、これはつまり0.03気圧ほどです。もしも静脈に対し液体を入れようとすると、つまり(いわゆる)点滴をする時には、0.03気圧(20mmHg)より高い圧力で血管の外側から液体を入れてやらなければなりません。 この静脈の圧力を「水の高さ」に換算すると 20mmHg = 20mmHg / 760 mmHg ×10m = 26cmの高さが必要になります。 つまり、静脈に(水とおおよそ同じような重さの液体を)点滴する時には「26cm高い場所から点滴をすれば大丈夫」といったことも体感的にわかるわけです。

 今回は血圧(mmHg)を大気圧や水圧に換算してみました。 身近なはずなのに「なかなか体感できない単位」を、他のものに換算してみると、ちょっと面白く・体感・納得できるかもしれません。

 今年8月8日、「中国の実業家が2年間かけて作った”ノアの方舟”を使い、その衝撃低減能力などの実証公開実験が行われ見事成功した!」というニュースが流れました。

 中国義浙江省烏市の承認・楊宗福さんが2年間をかけて「ノアの方舟」を製作した。発生するだろう地球の災難に対応するためだ。8月8日、楊さんが自作した「ノアの方舟」に入り、ほとんど垂直の50メートルの山の斜面から池に落ちて、人々に自分の発明成果を披露した。
 この直径4メートルのオレンジ色の大きな丸いボールは、重さは6トン、水面で33トンを積載可能。
 最も外側の層には、振幅減衰保護層を設計した。4層の3.5ミリメートルの鋼板で…300個の高強度の衝突吸収スプリングおよび75個のエアバックを設置。これらの装置は350トン程度の衝突を解消可能だ。トラックを時速100kmでノアの方舟にぶつけても、中にいた人は全然振動を感じなかった。

 このノアの方舟、限りなく夢に満ちていて・本当に心から楽しめるのですが(日本が誇るリアクション芸人である出川哲郎さんをぜひとも搭乗させて欲しいものです)、科学してみると「色々解せないところ」もあります。そこで、今回は、中国市民が作り上げた「ノアの方舟」を科学してみることにしました。

 まず、重量6トンだという球形「ノアの方舟」が時速100kmで走り来るトラックとぶつかったならどうなるでしょうか?…トラックの重量は最低でも2トンくらいはありますから、もしもトラックとノアの方舟が弾性衝突したとして計算すると、「ノアの方舟」は衝突直後には時速50kmではじき飛ばされてしまいます。ちなみに、重量2トンのトラックは方舟とは逆の方向に同じく時速50kmで跳ね返るような大事故です。
 この衝突が、「(ノアの方舟の)中にいた人は全然振動を感じなかった」という状態で済むとは…とても思えません。もしも、「中にいた人は全然振動を感じなかった」としたら、その人は衝突直後に、すでに振動といったものを感じない状態になってしまっていたのかもしれません。それはつまり、(…以下省略)

 そしてまた、「水面で33トンを積載可能」とありますが、直径4メートルの球が得ることができる水中での浮力は最大でもキッカリ・ポッキリ33トンになります。なぜなら、直径4メートルの球の体積に相当する水の重さが33トンであるからです。ということは、ノアの方舟自体の重量が6トンであることを考えると、もしも33トンの人や物資を積載したりしたらば、ノアの方舟の重量はトータル6+33=39トンになってしまいます。しかし、浮力は33トン分しか得られないということは、ノアの方舟は「水に浮くことができない」ということになります。つまり、「方舟(はこぶね)」という名前に反して、このノアの方舟は、水底にただひたすらに沈む金属球体と化してしまうのです。

 中国市民が作り上げた「ノアの方舟」を科学してみると、「ノアの方舟」が「水に浮かばない船」だったり、方舟がイキナリ時速50kmではじき飛ぶはずの状況下でも「中の人は何も感じない」といった「アレ?ん?」といった微妙な違和感も満ちています。…しかし、その違和感以上に、何より面白く・楽しさが満ちあふれているニュースであることも確かです。

 アップル社が「Macbook Pro Retinaモデル」を発売しました。 そのディスプレイに関する説明には、こうあります。

 15.4インチのディスプレイに500万を超えるピクセルを載せてみると、 その結果はまさに圧巻でした。ピクセル密度がとても高いので、 人間の目では一つひとつのピクセルを識別できないほど。

この「人間の目では一つひとつのピクセルを識別できないほど」というアップル社の宣伝文句は、もちろんアップルお得意の「誇大広告」です。

 アップルが「Retina画面」と呼ぶMacbook Pro Retina・New iPad・iPhone4の画面の画素サイズを「このくらいの視力の人なら識別することができる」という「視力換算」したものが右のグラフです。 「視力換算」というのは、通常の「使用状況=各々の機器を使う歳の観察距離」で、ディスプレイの画素(ピクセル)サイズを識別することができるかどうかを、視力の計算式を用いて(大雑把な換算ですが)算出してみた、ということです。 その結果は、こうなります。(それぞれの観察距離は、50cm,30cm,20cmとして、視力換算しています)

  • Macbook Pro Retina:視力 1.3の人なら画素が見える
  • New iPad:視力 0.9の人なら画素が見える
  • iPhone4:視力 0.8の人なら画素が見える

 ちなみに、「視力」というのは、(下に貼り付けた説明図のように)モノを眺めた時(そのモノが)どの程度の(広がり)角として見えるか・そしてその(広がり)角が識別できるかによって決まります。 「見えるかどうか」には、実際の「画素(モノ)の大きさ」だけでなく、その画素(モノ)を「どのくらいの距離から眺めるか」も重要なのです。 だから、iPhone4の画素サイズが一番細かかったとしても、iPhoneのようなスマートフォンは近くから眺められるので、「視力 0.8の人ですら(実は)画素が見える」という結果になってしまうのです。

 さて、Macbook Pro Retinaモデルは、「視力 1.3の人なら画素が見える」という結果でした。 つまり、「目が悪い」人でなければ、この程度の大きさ(ピクセルサイズ)では、「人は識別できる」のです。 解像度が高くなったといっても、実は、まだまだ解像度は(人間の視力基準で考えれば)足りていないのです。

 アップルお得意の「誇大広告」は、それにダマされず、けれど(それを)楽しむべき、なのかもしれません。 嘘を丸呑みに信じダマされるのはただのアホですが、それを冷静に眺めていてもアホな(同じ)人間であることに変わりはありません。 だとしたら、「踊るアホウに見るアホウ、同じアホウなら踊らな損々~」という阿波踊りのように、ダマされず、けれど楽しむ、というのが風流なのかもしれない、と思います。