雑学界の権威・平林純の考える科学

 クリスマス・年末・新年会…シャンパンやビールを片手に立食パーティなどに参加する機会も多い時期です。話をするのが苦手だったりすると、そんな場は「手に持ったグラスを眺め、ただ飲み続ける時間」になったりします。けれど、それはあまりにもったいなさ過ぎる!というわけで、手に持ったグラスを眺める時間を新鮮で楽しい発見・研究タイムに変身させる「役立つ知識」をご紹介します。

 まずは、シャンパンをグラスに注ぎ、乾杯を終えたら、グラス中に昇る泡の動きを観察しておきましょう。そして、しばらく時間が経った後、もう一度、泡の動きをよく観察してみて下さい。…すると、シャンパンがグラスに注がれた当初は「たくさんの速い大きな泡が立ち上っていた」はずなのに、時間を経た後には、いつの間にか「小さめの泡が何列かに整列し、ゆっくり歩調を合わせて昇っている」ことに気づかされるはずです。

 しかも、自分のグラスだけでなく、周りの人たち(が手に持つグラス)の観察を…さも人を探しているかのように…観察してみれば、さらに面白いことに気づくかもしれません。それは、女性たちが手にするグラスの方が「小さめの泡が何列かに整列して、ゆっくり歩調を合わせて昇っている」という現象がより進んでいる、ということです。なぜ、そんな男女差が生じるのでしょうか?

 まず、シャンパンの「泡が上に浮かび上がっていく速度」や「泡の大きさ」について考えてみましょう。 泡が上に浮かび上がっていく速度は、泡の浮力と(浮かび上がろうとする泡を押し留める)抗力で定まります。 浮力は(泡が水を押しのける)体積=粒径の3乗に比例して、抗力はおよそ粒径の2乗に比例するので、結果として、粒径が大きいほど速く上に昇っていきます。また、シャンパングラスの壁面(に付着した繊維・微小片)で生み出された泡は、昇っていく過程で次第に大きくなっていきます。それは、シャンパンに溶け込んでいた二酸化炭素が(シャンパンから放出され)泡に合わさっていくからです。そのため、結果的に、グラス下部で生まれた泡は、泡の粒径を大きく成長しつつ、上昇速度を速めながら上に昇っていくことになります。…これが、シャンパンをグラスに注いだばかりの当初の状態です。(参考:立ち上る泡の間隔や、時間をおって変化する泡の粒径や、泡の粒径と上昇速度の関係ーSparkling Wine, Champagne & Co – Part 3から


画像はSparkling Wine, Champagne & Co – Part 3から

 注がれたばかりの時は、シャンパンにはたくさんの二酸化炭素が溶け込んでいます。だから、グラス下部で生まれた小さな泡は上昇するにしたがい、(封が開けたことで、密封下よりも低気圧下に置かれた)シャンパンから放出された二酸化炭素を含んで(まるで桃太郎が仲間を増やしていくかのように)成長して、泡は大きくなり・上昇速度を上げていきます。

 しかし、グラスにシャンパンが注がれてから時間が少し経った後には、シャンパンに溶け込んだ二酸化炭素の量が(温度や圧力に応じて溶け込むことができる量を基準にすると)減少しています。そのため、グラス下部で生まれた小さな泡は、上昇する中で粒径がそれほど大きくならずに、浮力と抗力が均衡する終端速度に達して・速度を変えないままで上昇していきます。つまり、グラス下部から上部まで、同じ程度の大きさの泡が、速度も泡の間隔もほぼ変わらないままに綺麗に並んで浮かび上がっていくことになります。

 この「シャンパンをグラスに注いでしばらくすると、小さめの泡が何列かに整列して、ゆっくり歩調を合わせて昇るようになる」という現象、実は「女性のグラスほど早く出現しやすい」のです。なぜかというと、シャンパンに溶け込むことができる二酸化炭素の量は女性のグラスの方が多く、シャンパンから二酸化炭素が放出されにくいため、比較的小さな粒径の泡で平衡状態となるのです。

 それでは、シャンパンに溶け込むことができる二酸化炭素の量が女性のグラスの方が多いのは一体なぜか?というと、女性は口紅などを付けていることが多く、口紅などは界面活性剤を含んでいて、シャンパンに界面活性剤の成分が溶け込むと、シャンパンに対する気体の溶解度が増大します(参考:The Solubilities of gases and surface tension, H.H. UHLIG, MIT, 1937)。その結果、温度や圧力に応じて溶け込むことができる量を基準にすると、女性が手に持つシャンパン・グラスの泡は大きく成長しにくく、小さな泡が等間隔で綺麗に並び、美しく鈴なりになり上昇していくことになるのです。

 …といったことを知っていれば、「ひとりグラスを眺める気まずく寂しいパーティー・タイム」も、新鮮で楽しい科学実験の時間に変身します。あるいは、テーブルに置かれたグラスを見れば、その泡の動きを手掛かりに、グラスの持ち主「性別」を推理することができたりします。…自分のグラスがどれだかわからない時、誰のものかわからないグラスを 飲もうとする時、科学知識を駆使すれば、男性同士の(シャンパン・グラス越しの)間接キッスを防ぐことができる…というのが今回の豆知識です。

 最近は、「エスカレーターでは歩かず、片側を空けず、手すりにつかまる」ように呼びかける掲示物を、駅の構内などで多く見かけます(参考:片側空け→歩行禁止 マナー変わる? エスカレーター )。そんな「エスカレーターを歩くとあぶない」といった理由などから「エスカレータでの片側空けを止めましょう」という言葉が掲げられている一方、今はまだ「片側を空ける」マナーの方が一般的です。

 世界各国を眺めてみると、エスカレータでは「片側に立ち・もう片側を空ける」マナーが浸透している国が多く、それどころか、今後こういったマナーを広めていこうとしている国の方が多いように思えます。 もっとも、エスカレーターで「どちらの側に立ち・どちらの側を空けるか」にはばらつきがあります。 たとえば、日本でも、 東京では左に立ち・右を空けることがマナーとされている一方、大坂では右に立ち・左を空けるのが一般的なことはよく知られています。

 そこで、「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」を調べてみたのが、次のリストです。結果を先に言うと、オーストラリアや東京では左に立ち・右を空けるのが一般的ですが、それ以外の国では逆に右に立ち・左を空けるのが一般的です。

  1.  ●英国:右に立ち・左を空ける
  2.  ●米国:右に立ち・左を空ける(参考:USで空けるの見たことないけど…
  3.  ●香港:右に立ち・左を空ける
  4.  ●カナダ:右に立ち・左を空ける
  5.  ●フランス(パリ):右に立ち・左を空ける
  6.  ●オランダ:右に立ち・左を空ける
  7.  ●台湾(台北):右に立ち・左を空ける
  8.  ●タイ(バンコク):右に立ち・左を空ける
  9.  ●奈良・和歌山・神戸:右に立ち・左を空ける
  10.  ●金沢:左に立ち・右を空ける
  11.  ●京都:京都駅の在来線は右に立ち・左を空けるが、観光客がメインの新幹線は左に立ち・右を空ける
  12.  ●大阪:在来線は右に立ち・左を空けるが、新大阪駅の新幹線ホーム:上り・下りや乗客層によって異なり、その逆も多い
  13.  ●仙台:右に立ち・左を空ける
  14.  ●オーストラリア:左に立ち・右を空ける
  15.  ●東京を中心とした関東や九州など:左に立ち・右を空ける
  16.  ●ラテンアメリカ:エスカレーターを歩いて上ったりしない
  17.  ●ギリシャ:右よりに立つが、左を空けるわけでもない
  18.  ●中国(上海):右に立ち・左を空ける
  19.  ●中国(本土):片側空けたりしない…というより、基本「我先に行く也」状態という意見
 

 日本では、東京を中心とした関東(仙台をのぞく)や九州地方では「左に立ち・右を空ける」一方、大坂を中心にした関西地方えは「右に立ち・左を空ける」のがマナーです。この大阪文化圏と東京文化圏の違いが生まれたのは、1970年(昭和45年)に大阪で開催された日本万国博覧会がきっかけだったという説が有力とされています。世界中から大勢の人たちが大阪に訪れる際の混乱を避けるため、海外で一般的な「右に立ち・左を空ける」マナーを阪急電鉄が大阪梅田駅で呼びかけたことから、右に立ち・左を空ける大阪文化圏が生まれたというわけです。その一方、東京では、もっと後になってから「エスカレーターで片側で立つ」マナーが生まれたのですが、左に立ち・右を空けることになった理由について、その定説ははっきりしていません。

 東京で「左に立ち・右を空ける」ことが一般的になった理由の定説が無ければ…その理由を勝手に自由に考えてみよう!というわけで、思いついた理屈が次のようなものです。

 エスカレータでゆっくり立つ側・空ける側(=追い越して早く進む側)というのは、ちょうど車*の走行車線と追い抜き車線の関係と似ています。走行車線を行く車はゆっくりと進み、早く進みたい車が追い抜き車線を抜けて行くのと似ています。 そこで、考えた理屈は、エスカレータ上の歩行者は、基本的に「車の走行側(日本なら左を基本的に走り、追い越すときは右側から追い越す)」と同じように行動するのではないか?というものです。だから、東京では、車と同じように、ゆっくり進む人は左側に立ち・早く行きたい人は右側から追い越していく…というわけです。
 そして、イギリスのように、(車の行き来は少なくても)多地域から来る人の往来が多い場所では、そこに来る(周りの)人たちに影響された側になるのではないだろうか…という具合です。だから、京都や新大阪の(東京など多地域から来る観光客が多い)新幹線ホームのエスカレータでは、訪れる人たちに影響されたマナーが一般的になる…というのが自分勝手に考えてみた理屈です。

 東京から大阪に行ったとき、ついエスカレーターで「ぼぉっ〜」っと左側に立っていて後ろから来る人の流れを不自然にしてしまうことがあります。他の国に行ったとき、そんなことがないように、こんな「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」を知っておくのも良いかもしれません!?

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*ちなみに、各国の車が左右どちらを走るかは、右利きの人が多い→大陸の馬を多頭で横に並べる馬車では御者が左に座る(英国では多頭を横に並べないため右に座る)→すれ違うとき馬車が右側走行の方が便利(英国では左側走行の方が便利)→馬車(そしてその後に車)は左側を走ろう…という必然の流れで広まった、と言われています

 湖や川の先にある景色が水面で反射して、地上の景色が水上に鏡のように写し出されていることがよくあります。そんな時に、水面に写る景色の方が、水の向こうにあるオリジナルの木や草よりも、不思議に色鮮やかに見えるという経験はないでしょうか?

 実は、水面に映る景色の方が色鮮やかに見えるということは全く不思議ではなくて、とても自然な話です。なぜかというと、水面に映る景色は、私たちが目にする景色の「それ自身の色」をより多く写し出されているからです。
 太陽や照明が放つ光に照らされた物体は、空気と物体の屈折率の違いにより、ある程度の割合の光を物体表面で反射します。そして、表面で反射されずに内部に入り込んだ光が物体の色に染まり、物体内部色の光として外に出てきます。わたしたちが眺める景色には、物体内部の色に染まった光と、物体表面で反射した太陽や照明の光そのままの色の光=多くの場合は白い光、が含まれています。緑の木々や草花が放つ光も、それらの内部から帰る「緑に染まった光」と「表面で反射した白い光」が混じり合うことで、白みがかった緑…つまり、少し鮮やかさが失われた緑色になっているわけです。
 その一方、水面に写る緑の景色では、少なからずの場合に、「表面で反射した白い光」が取り除かれて「緑に染まった光」の割合が高くなっていることが多いのです。…どういうことかというと、物体表面で反射する光は、振動方向が「物体表面に沿う側」のものが多くなります。光は電場と磁場が互いを作り出す電磁波ですが、物体(誘電体)表面で反射する割合は、波としての振動方向(偏光方向)が「物体表面に沿う側」である成分の方が(それと直交する方向に振動する成分よりも)多くなるのです。すると、木々や草花の表面で反射した光は、物体表面を基準にして振動方向が偏った光になります。そして、さらに、「偏光方向が物体表面に沿った成分が表面反射では多くなる」ということを逆に言うと、偏光方向が「物体表面に沿う側」でない光は反射しにくいということですから、木々や草花で反射して振動方向が偏った光は、「ちょうど水面の向きに沿ってて反射しやすい」という偶然でもない限り反射されにくくなります。
 つまり、木々や草花と言った物体の表面で反射した光は水面では反射しにくいことから、水面で反射する光は「木々や草花の内部から返された緑色に染まった光」の割合が高くなるのです。だから、水面に写る景色の方が、水の向こうにあるオリジナルの木や草よりも、不思議に色鮮やかに見えるわけです。

 絵画を眺める時も、光に照らされた絵画は「絵具表面で反射する白い光」と「絵具内側に入ったことで色づいた光」を周りに放ちます。つまり、「絵具自身の色」と「白い光」が混ざり合うことで、絵画を観るわたしたちの目には絵具の色よりも少し淡い色の光が届くのです。鮮やかな絵具が使われている絵画でも、私たちが眺める時には色の鮮やかさが多少とも失われたものになっているわけです。…そんなことを考えると、巨匠たちが描いた絵画の中にある「鮮やかな絵具自身の色」を眺めてみたいとか、「表面反射による(色を淡くさせる)白い光」を分けて眺めてみたいとか、そんな気持ちになります。

 実際のところ、わたしたちが絵画を色々な方向から眺めたりする時には、絵具自身の色と表面反射による白色を分離して感じることもできるでしょう。しかし、絵画を撮影した写真などでは、それらの区別はできないために、色が淡く褪せたような印象になってしまうことも多い気がします。…そこで、今回は巨匠が描いた絵画の中にある「鮮やかな絵具自身の色」を映し出したり、「筆が作り出す表面の輝き」を取り出すことができる特殊撮影・写真展示をしてみることにしました。

 特殊撮影に使う道具は、「【夏休みの自由工作】昼間なのに「夜景風の写真」が撮れるカメラを作ってみよう!?」で作った「偏光フィルタをモータで回転させつつ何枚もの画像を連写するカメラ」です。物体表面で反射した光は振動方向が偏る(けれど内部の色に染まった物体色は光の振動方向が特に偏らない)という特徴を利用して、偏光フィルタ=一定の光振動方向(偏光方向)のみを通すフィルタを色んな方向に回転させつつ偏光フィルタを通過した光の量をカメラで撮影することで、(ある程度の仮定のもとに)「物体自体の色」と「物体表面で反射した光」の量をそれぞれ分離して推定することができるのです。

 さて、巨匠が描いた絵画の色をじっくり眺めてみよう!ということで、米国フィラデルフィア美術館に特殊カメラを持ち込み、絵画を特殊撮影してみました。ストロボと三脚を使わない撮影であれば館内で絵画を撮影して良いということで、ゴッホ・セザンヌ・ルノワール・マネ・クリムト・ロートレック・マチス…と、近代西洋絵画を代表する巨匠たちが描いた絵画を撮影していきます。たとえば、ゴッホ「ひまわり」を撮影してみた結果の一例が、下に並べた画像です。左の画像はデジカメで撮影した「生画像」ですが、真ん中は(推定された)絵具の内部から放たれる「絵具自身の色」で、右が絵具表面で反射した白い光の量を表しています。「デジカメの撮影生画像(左)」と「絵具自身の色(真ん中)」を比べると、撮影生画像は(表面で反射した白い光が混じっていることで)色が淡くぼんやりした感じになってしまっていますが、絵具自身の色の方は色鮮やかで華やかです。なぜなら、「表面反射の白い光(右)」を見ればわかるように、「ひまわり」の葉や花びら部分には白い反射光が多く混じっていて、その部分の色を白く淡く変えてしまっているからです。

 さて、「絵具自身の色」と「表面反射の白い光」を分けて眺めることができるようになったとはいえ、これだけでは「絵画を実際に目の前で眺める」時の感覚とは全然違うでしょう。わたしたちが絵画を目の前で眺める時は、色々な方向から眺めることで、絵具自身の色と表面反射による白色を分けて感じることもできたりします。しかし、上に画像として並べたようなものでは、実際に眺める感覚とは全く異なり、「絵具自身の色と表面反射による白色を分ける」ことはできていたとしても、「絵具自身の色と表面反射による白色を分けて感じる」ことができている…とは言えないに違いありません。

 そこで、特殊撮影で推定した「絵具自身の色」と「表面反射の白い光の量」を利用して、あたかも目の前で観賞しているかのように絵画を眺めることができるページ(フィラデルフィア美術館のゴッホ「ひまわり」のVR表示)を作ってみました(右は動作画面例です)。このページで、油絵をさまざまな向きに動かして眺めてみたり、拡大して大きく眺めてみたりすれば、「鮮やかな絵具自身の色」や「絵具の表面が作り出す輝き」を感じ取ることができるのではないか、と思います。鮮やかな絵具自身の色を眺めれば、普通に撮影・印刷されたカタログではわかりづらい絵画の色使いがわかるかもしれないですし、絵具の表面が作り出す輝きからは、表面の反射特性を作り出した巨匠の筆使い(のかすかなさまを)を感じることができるかもしれません。

 さて、フィラデルフィア美術館で撮影した特殊カメラ画像群ら作り出した「絵画の体感表示」をこのURLに並べて置いておくことにします(ゴッホ「星月夜」は今回のものとは別です)。ゴッホ・ルノワール・マネ・マチス・クリムト…近代絵画の巨匠たちが描き出した渾身の絵画を、こんなVR表示で眺めてみれば「鮮やかな絵具自身の色」や「絵具の表面が作り出す輝き」を少し感じることができたなら良いな、と思います。