雑学界の権威・平林純の考える科学

 名画の中には、描かれるものの配置が計算し尽くされたかのように見えるものが数多くあります。たとえば、右のフェルメールが描いた油絵 “Die Malkunst” は、画の中に描かれたものすべてが、補助線を引いてみると見事に黄金比(黄金率)に沿っていることがわかります(左図:黄金比配置を示した補助線テンプレート、右図:フェルメール “Die Malkunst”)。黄金比というのは、1:(1+√5)/2という比率で、この比に沿う配置は安定感や美しさを強く感じさせることが知られています。フェルメールの “Die Malkunst”は、部屋を飾るカーテン、描かれた女性、画家の体や腕が、すべて美しく黄金比にもとづく配置になっています。

 計算され尽くした「名画」は、過去の芸術の中にだけ存在するわけではありません。たとえば、私たちが毎日使うPCにインストールされているマイクロソフトOfficeの中にある、クリップアート画像の数々も、よくよく眺めてみると黄金比に忠実に沿った配置にされていたりします(右図)。海に走る波、波に乗るサーファー、背景に広がる岩場…画像中の素材が綺麗に黄金比に沿った配置になっています。あるいは、青空を背景に立つ鉄骨と、空中を走るローラーコースターが、見事に黄金比に沿った配置となっていることがわかります。

 

 何気なく使うOfficeクリップアートも、数々の名画と同じように、実は計算し尽くされた配置になっていたりします。…そんなことを考えながらOfficeクリップアートを眺めてみれば、Officeでの資料作りも「世界の美術館巡り」に思えてくるかもしれません。

 「ガリヴァー旅行記」は、1726年にジョナサン・スウィフトが書いた有名な風刺小説です。 ストーリーは、みなさんご存じのように、船医ガリバーが身長が小さな人たちの国(リリパット国・ブレフスキュ国)に行ったり、巨人の国に行ったり、空飛ぶ島「ラピュタ島」や馬の国や…そして日本に!行ったりする、という話です。

 このガリヴァー旅行記に由来する、ある有名なコンピュータ用語があるのをご存じでしょうか?

 それは、「ビッグエンディアン」「リトルエンディアン」という「コンピュータ内部での(多バイト)データの並べ順」を表す用語です。「データの上位バイトからメモリに並べるやり方」はビッグエンディアンと呼ばれ、その逆に「下位バイトから並べていくやり方」はリトルエンディアンと呼ばれます。たとえば、インテルx86シリーズのCPUはリトルエンディアンですし、その一方でJava仮想マシンや(AppleのMacがかつて使っていた)モトローラ系CPUはビッグエンディアンで動いています。

 

 ガリバー旅行記の第1エピソードの舞台、身長が小さなリリパット国とブレフスキュ国は戦争を続けています。 そして、その戦いの理由は、リリパット国は「(半茹で)ゆで卵を食べる時は大きい(太った)方の端っこ(=”Big-End”)から割る」やり方を守ろうとしているのに対し、ブレフスキュ国は「小さい(細った)方の端っこ(=”Little-End”)から割る」やり方をしようとしているからなのです。そして、それら2派を、スウィフトは「大きい方の端(=”Big-End”)から割る」”Big-Endian”(大きい端っこ派)と「小さい方の端(=”Little-End”)から割る」”Little-Endian”(小さい方の端っこ派)と書いたのです。

 このガリバー旅行記で登場した「生茹で卵を割る順番」に対する造語「ビッグ・エンディアン(大きい端っこ派)とリトル・エンディアン(小さい方の端っこ派)」が、いつしか、コンピュータの「(多バイト)データの並べ順」を表す言葉として使われるようになりました。コンピュータ内部のメモリ配置の順番を示す用語は、ガリバー旅行記中に由来していたのです。

 ところで、スウィフトが書いた風刺小説「ガリバー旅行記」に登場する「ビッグ・エンディアンとリトル・エンディアン」は、キリスト教のカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)を指しています(参考)。つまり、(スウィフトから見れば)「ゆで卵の割り方のような”ささいな違い”」から争いが続いている状況を、スウィフトはガリバー旅行記として風刺していたのです。

 コンピュータの「ビッグ・エンディアンとリトル・エンディアン」も、その違いから、しばしば「間違い」「混乱」「争い」を起こしたりします。…そんな(コンピュータが上手く動かない、という)悩みを抱えた時は、「ガリバー旅行記」のリリパット国とブレフスキュ国を思い出すと、ちょっと気分転換になるかもしれませんね。



参考:
ゆで卵、これが「ベストな剥き方」だ!? 

 電磁気学・流体力学・熱力学…数多くの物理学の方程式に、「∇」という記号が登場します(右の方程式は電磁気学のマクスウェル方程式です)。 この記号は、19世紀英国の数学・物理学者であるハミルトンが使い始めたことから、ハミルトン演算子と呼ばれたり、あるいは「ナブラ記号」と呼ばれたりします。 (ナブラ)∇がたくさん書かれた黒板を見た瞬間、急に内容が難しく感じられ、へこたれた気分になってしまったことがある人も多いのではないでしょうか?…今日書く記事は、そんな「ナブラ記号」が好きになる雑学です。

 ∇(ナブラ記号)という記号は、1846年に、ハミルトンが初めて使い始めました。 しかし、それから長い間、∇という記号は、「我が輩は…名前はまだない」状態、つまり「名無し」さんのままでした。 だから、「ハミルトンの演算子(ハミルトンが使った記号)」と呼ばれたり、定着しない他の名前で呼ばれていたりしたのです。

 ∇が使われ初めて24年後の1870年に、(マクスウェル方程式を生み出した)電磁気学で有名な物理学者マクスウェルが「この∇記号、何か良い呼び名はないかい?」と友人たちに尋ねます(名前がないと不便ですからね)。 すると、24歳だった神学者W.R.スミスが、こう答えます。

 ギリシャ神話に登場するカドモス王子が∇を使うとき「∇の名」を周りの先生たちに尋ねたとしたら、”そりゃ、オマエそれはナブラ(ヘブライ語で竪琴を示すNebel)に決まってる”って言うと思います。

 ギリシャ神話中で、カドモス王子は(同じくギリシャ神話に登場する)ヘルメースから「竪琴」を贈られます。 ナブラ記号は、まさに「逆三角形の竪琴」の形をしています。 そこで、ハミルトンの演算子が使われ始めた年に生まれた24歳のスミスは、マクスウェルに「∇はナブラと呼びべきだよ(竪琴の形に似てるし)。古のギリシャ神話の神々だって、ヘルメースから竪琴を譲られたカドモス王子には、”それはナブラ(竪琴)だ”って答えるに決まってます」と、洒落っ気たっぷりにアドバイスしたというわけです。 そして、ハミルトンが使い出した∇記号は、24年の時を経て、ヘブライ語のNeblに由来するギリシャ語のナブラという名前で呼ばれるようになったのです。

 …さて、ギリシャ神話のヘルメース(フランス語読みでは”エルメス”ですね)がアポローンに譲った竪琴が、「アポローンの竪琴」です。 それは、夏の夜空に輝く「こと座」です。 こと座α星ベガは、切ない物語のヒロイン、「七夕の織り姫星」です。そして、 ベガ(織り姫)はわし座α星アルタイル(七夕の彦星)・はくちょう座α星デネブとともに、夜空に「夏の大三角」を描き出しています。

 黒板に描かれた∇(ナブラ)を見たら、その名前の由来となった、夏の夜空に浮かぶ「こと座」や、織り姫や彦星が描く「夏の大三角形」を思い浮かべると良いかもしれません。 小難しいように見えた形の向こうに、魅力的な歴史が浮かび上がり、そして黒板に描かれた数式が好きになるはずです。


参考:ヘブライ語のNebel(堅琴)を語源に持つナブラ▽について On Nabla ∇ originated from Nebel (=Harp) in Hebrew