今年の箱根駅伝は、選手が低体温症・脱水症状になり2チームが途中棄権しました。
寒い冬の強風は、痩せ型の長距離タイプの陸上選手には辛いだろう…と思います。
体からの放熱量は(走る速度と風速で決まる)空気に対する速度の1乗弱に比例し、体の表面積や体温と気温の差に比例します。
一方、ランニングをするとき体内で発生する熱量は、走る速度と体重に比例します。
ここで、身長が同じ場合には体の表面積は(おおよそ)体重の0.43乗に比例するという関係を使うと(体脂肪の有無による熱伝達係数の違いなどを無視すると)、体内外の熱収支を決める発熱量と放熱熱量は、
発熱量∝走る速度×体重
放熱量∝走る速度(走る速度と風速の合成速度) × 体重^0.43 ×(体温と気温の差)
という式で表されることになります。
発熱量は体重の1乗に比例し・放熱量は体重の0.4乗に比例…ということは、(同じ体重で)体重が増えると発熱量の方が放熱量より遙かに多いけれど、体重が少ない痩せ型にとってはそうでない、ということになります。
たとえば、右のグラフは、(身長が同じ場合の)体重の大小による「体内での発熱量」「体から外部に奪われる熱量」の関係を図示したものです。
このグラフからわかるのは、箱根駅伝(陸上長距離)に向いた痩せ型の人(体重が軽い人)は、発熱量より放熱量が多くなってしまいがちだということです。
つまり、寒く(体温より気温が低く)・風が強い日は、痩せ型の人は、運動をしても体温が下がってしまいがちなのです。
痩せた人は、水の中で泳いでいるとすぐに体温が下がりがちだったり、エアコンで冷やされた部屋にいると寒くて凍えそうになったりします。
その逆に、太った人は汗をかきがちで、暑さにとても弱かったりします。
体重と発熱・放熱量の関係を眺めれば、冬の強風時に途中棄権が生まれてしまうのも、必然だと思えてくるのではないでしょうか。
港に泊まる大型船の舳先には錨(いかり)がぶらさがっています。
そんな錨を見て、こんな疑問を感じたことはないでしょうか。
「海の底から錨が抜けなくなり、船が錨を下ろした場所から動けなくなってしまうことはないのだろうか?」
たとえば、海辺で釣りをする人たちが海に下ろす釣り竿の先は「釣り針(はり)」がぶら下がっています。
釣り針が海底に引っかかり・外れなくなってしまうことがありますが、それと同じように、錨(いかり)が抜けなくなり・錨を下ろした大型船が動けなくなってしまうことはないのでしょうか?
実は、錨が引っかかってしまうような場所では、大型船は錨を下ろすことはできません。
錨を下ろすことができるのは海底が泥や砂で覆われている場所で、たとえば岩場のような場所には錨を下ろせないのです。
こう書くと、錨がしっかり引っかからないような場所で錨が船を支え・止めることができるか?と不思議に思われるのではないでしょうか。
実は、大型船を留めているのは、海底に刺さる錨(だけ)ではありません。
錨を下ろした大型船を繋ぎ止めているのは、海底に打たれた錨の力が半分で、もう半分は錨までに至る鎖なのです。
鎖が海底に長く下ろされ、その鎖の重量・抵抗が錨と力を合わせることで、船を止めているのです。
錨の数や重さは、船の種類で決まっています。
たとえば、鋼船規則で(両舷に)1トン弱の錨を持つ船は、660メートルの鎖を備えることになっています。
そして、1トンの錨は最大で1トン×3=3トンの重量に相当する程度の力を発揮します。
一方、海底に下ろされ(海底に横たわる)鎖の長さは例えば500メートル程度になります。
そして、その長さに相当する鎖の重量は3トン程度になり、この重量の鎖に働く海底との抵抗力は(およそ)3トン×1弱=3トン程度です。
つまり、船が錨を下ろしている時、錨と(錨をぶら下げる)鎖が同じくらいの大きさの(船をその場所にとどめるための)力を発揮しているというわけです。
いかにも、「力強そうな錨の形状」を見ると、嵐の中で船を守っているのは錨だけにも思えてしまいます。
しかし、実は「錨に繋がる長い鎖」も人知れず・けれど力強く船を支えているのです。
「人が恐れるキャラクター」に緑色が多いのはなぜでしょうか? たとえば、映画「シュレック」の主人公シュレックは、緑色の肌を持ち(外見から)人から怖がられている存在です。また、超人ハルクの主人公ハルクも(人から恐れられる存在である変身時は)緑色の肌のキャラクターです。あるいは、オズの魔法使い(ウィケッド)の主人公、西の”悪い”魔女も緑色の肌をしています。
これらのキャラクターたち、超人的な力を持ち・人から恐れられ・しかし時に外面とは違うものを内面に備えるキャラクターたちは、なぜみな緑色の肌をしているのでしょうか?
たとえばシュレックの主人公シュレックとフィオナ姫といったキャラクターが備える「緑色」は、中世ヨーロッパの時代から受け継がれたイメージ、「緑色は悪魔の恐ろしさ・醜さを感じさせる色であると同時に、若々しい青春の色・恋を連想させる色だ」と、「色で読む中世ヨーロッパ(徳井 淑子 講談社選書メチエ)」には書かれています。中世ヨーロッパの人々が持っていた「色のイメージ」を、膨大な文献を引きつつ書くこの本が、「緑色(かつては緑色・黒・青色といった間の区別は不明瞭だったと言います)」に関して説明するのは、次のようなことです。
「緑色」は「自然の樹木・森」といった存在そのものであって、その森とともに暮らす中で、森の緑は人の営みを支える存在であると同時に恐怖・神秘を感じさせる存在でもあった。そして、冬が終わり夏が始まる5月(結婚シーズン6月の前月ですね)に広がる「緑色」は若さ・活気・楽しみ・恋・愛情といった活力ものであると同時に、見る見る間に移り変わっていく緑色は「変わりやすさ・二面性・混乱・破壊」といったものを意味するようになり、強い愛を示すと同時に・その愛の移り変わりやすさ・心変わりすら示し、あるいは、(賭けごとを司る台が緑色のテーブルクロスで覆われるように)幸運と不幸が折り重なる栄枯盛衰をも示すようにもなった。そして、こうしたことが積み重なっていった後に、中世ヨーロッパでは、「悪魔」「醜さ」といったものも緑色で描かれるようになりました。そして…この歴史の延長線上に、シュレックや超人ハルクたちは今立っている、というわけです*。
中世に長く続いたキリスト教と(緑色をシンボルカラーとする)イスラム教の戦いも、そのような背景に影響を与えているかもしれないと書く一節は、ミュージカル「ウィケッド(Wicked)」を連想させます。
ストーリーは、アメリカでは誰もが知っている少女ドロシーの冒険物語「オズの魔法使い」の裏話として構成され、(緑色の肌を持つ)西の悪い魔女・エルファバと南の良い魔女・グリンダの知られざる友情を描いている。境遇の全く異なる魔女2人の友情やボーイフレンドとの三角関係に焦点を当てながらも、肌の色の違いや動物たちに象徴させたアメリカ社会が抱える弱者への差別問題がある。湾岸戦争がきっかけで制作されたミュージカルであるという話もあり、「アメリカにはアメリカの正義があり、イラクにはイラクの正義がある」といった「表の正義と裏の正義」、「正義とは一体なにか?」といったところにメッセージを込めたいといった製作者の思いがあった
Wicked
今回は、「超人的な力を持ち・人から恐れられている…そんなキャラクターたち」の肌が緑色に塗られるまでの背景を眺めてみました。
*ちなみに、超人ハルクは当初灰色に塗られていたのですが、印刷工程上の理由(安定再現性)で色が変更され、緑色が選ばれました。(参考:
アメコミ・ヒーローの「色使いのヒミツ」を調査せよ!)