雑学界の権威・平林純の考える科学

 中華料理屋などで、壁にたくさん貼ってある「金玉満堂」という”御札”を見たことがある人は多いと思います。 キンタマ?マンドウ…?と何だか口にするにも少し恥ずかしさを感じる、この「金玉満堂」という言葉…一体、どういう意味なのでしょうか?

 中国語の「金玉」には、日本語で言うキンタマ(金玉)、つまり多くの男性がおよそ2個ほど抱え持つ「キンタマ」という意味はありません。 男性がぶら下げる(日本語で言うところの)ゴールデン・ボールズは、中国語では「睾丸」です(”睾丸”の方は日本語と同じですね)。 中国語の「玉」は、(たとえば)宝石のように貴重で美しいものを表現する言葉です。 だから、「金玉」は、貴重なもの・美しいもの…それは「金銀財宝プレゼント」のような財宝を指すわけです。

 だから、「金玉満堂」という言葉は、決して「男性がぶら下げるキンタマを詰めた蔵!」とか「キンタマとったどー!」というような意味では無くて、「財産が蔵に沢山詰まるように、つまり、豊かになりますように」という「願いごと」なのです。

 ちなみに、「金玉満堂」と同じように、「逆さの”福”の字」も壁などに貼ってあることが多いものです。 この「逆さ福」は中国語で書くと「福倒了(福が逆さ)」と書きます。 そしてこの”福倒了”の発音は、「福到了」つまり「(中国語の)福来る」と同じなのです。 というわけで、「逆さ福」は、「発音が同じ」ということを通じて(つまり一種のシャレですね)、「どうか福が来ますように」という(これまた)「願いごと」を書き表したものです。

 「金玉満堂」に「逆さ”福”」…意外な言葉に、人の願いごとが込められていたりするのは、何だか面白いなと思いませんか?

 煙突がはき出す煙は風に沿って流れていきます。 そして、煙突から出た煙と同じように、空に浮かぶ雲も風に乗り流れていきます。 そんな「当たり前のこと」を思い出しつつ、(下に貼り付けた)動画を観て下さい。 そこには、「不思議な景色」が映し出されていることに気づくはずです。 …「上空に浮かび流れる雲」と「煙突からモクモクとはき出される煙」が、なぜか正反対の向きへと動いているのです。

 もちろん、煙突から出た煙が「風に逆らって動く」わけもありません。 煙突が立っている地上近くの風向きと、(雲が浮かぶくらいの高さの)上空の風向きが逆だ、というだけのことです。 …しかし、なぜ地上近くの風向きと上空の風向きが違うのでしょうか?

 この動画は東京湾の海沿い(海の上)で撮影されたものですが、そうした海岸沿いでは「海陸風(かいりくふう)」という風が吹いています。 地上近くでは、昼は海から陸へと風が吹き、夜は陸から海へと風が吹いています。 そして、その上空では(地上とは)逆向きの風が吹いているのです。 昼と夜の海水と陸上の温度の違いが、陸上と海上での上昇気流や下降気流を作り出し、それが地上と上空の風向きが逆…という海陸風を生み出すのです。

 実は、この「(東京湾の)地上と上空の風向きの逆転現象」は、近年ますます増大している!?という研究報告があります(参考:「 沿岸部における都市圏の拡大がヒートアイ ラン ドの形成」)。 「東京湾沿いの地面がコンクリートに覆われ・気温が上がり、…つまりヒートアイランド現象が進んだことで、東京湾沿いの「海陸風」が激しくなっている!?というシミュレーション報告がされているのです(下の画像は「 沿岸部における都市圏の拡大がヒートアイ ラン ドの形成」図.9,10ー東京大手町から三浦半島の観音崎までの高さごとの風向きを昔と今とで計算した結果ーから)。

 『昔の横浜・東京がいつも夜霧に包まれていた「理由」とは?』では、「日本が発展し、都会の地面がコンクリートに覆われ・気温が上がったことで、東京湾から夜霧が消え去った」という話を書きました。 それと同じように、今日書いた話は、「地上と上空では、風向きが180°違っている」という「東京湾近くの日常の景色」は、「都市化」によって加速されているかもしれない!?という話でした。

「近くのものがぼやけて見えなくなる」という老化現象を「老眼」と呼びます。 手に持ったモノを眺めるときなど、モノまでの距離が近いとぼやけて見えないので、モノを遠く離して眺めているお年寄りがいます。 あれが、老眼です。 …しかし、この老眼、お年寄りだけの専売特許ではありません。 実は、若い人も「老眼」になっています。 十代の頃からすでに、本人が気づかないうちに、老眼の症状が日々進行しているのです。

「眼がピントを合わせる能力」が年齢に応じてどのように変化するかを示したのが下のグラフです。

 

 

このグラフは、ぼやけずに(ものを)見ることができる距離(=合焦可能距離)の範囲をメートル(m)で表し、その「見ることができる距離(m)の逆数」が年齢に応じてどのように変化するかを示しています。 赤線は「(眼のピントを合わせることができる)最も近い距離」で、青線が「(眼のピントを合わせることができる)最も遠い距離」です。 つまり、このグラフは「赤線と青線の間の距離にあるものを眺めることができる」と見れば良いのです。 縦軸は距離の「逆数」ですから、たとえば、無限遠が見えるか見えないかは、1/∞=(縦軸の)ゼロが赤線と青線の間に入っているかを見ればわかります。 あるいは、10cm(=0.1m)の近さにあるものを見ることができるかなら、1/0.1=(縦軸の)10が赤線と青線の間に入っているかを、(横軸の)年齢に応じて眺めれば良いのです。

このグラフを見ると、赤線=ちゃんと見ることができる(最も近くのものまでの)距離が、十代の頃から日々遠ざかっていることがわかります。 眼のピントを合わせることができる範囲(赤線と青線の間の長さ)が年々狭くなっていくことがわかると思います。 若い内から、すでに老眼の症状は日々進んでいるのです。 そのことがわかるように、右上のグラフ縦軸を「どのくらい近く(cm)まで見ることができるか」に変え、15才から40才までを拡大して推移を眺めてみたのが、下のグラフです。 一年で5mm弱程度のスピードで、老眼が毎年進んでいることがわかります。 大学に入りたての新入生が10年経って博士課程を卒業しようとしている頃までには、4cmくらい老眼が進んでいるのです。

 

 

 

 

ところで、冒頭のグラフをもう一度眺めてみましょう。 このグラフを眺めると、とても「恐ろしいこと」に気づかされれます。 40代になった頃から急激に「近くが見えなく」なり(赤線が”遠く”になっていき)、50代半ばでは、「ピントを合わせることができる最も近い距離が1/0=∞を超える…すなわち、無限大ですら”近くて”(!)眼のピントが合わなくなってしまう!」という状態になってしまうのです。

 

無限遠ですら”近くて”見えないという老眼…実に恐ろしいですね。